もしかすると「潮目が変わった」というのはこういうことなのかなんて考えているうちに、新宿駅南口あたりまで進んでいた。駅から出てくる人々はどんな反応を示すのかと気になって、南口の前を何度か往復してみる。

 通行人のほとんどは、何が起こっているのかと、まずはデモ隊に目を凝らす。その後は、何事もなかったかのように、通り過ぎていく人もいる。しかし一部に気になる反応を示す人々がいた。目を凝らした後、何を思ったのか、ふと微笑むのだ。しかも一人、二人ではない。数十人はそういう人がいた。デモ隊を見て微笑むというのは、私にとっては非常に新鮮だった。むしろ逆に違和感を覚えたほどだった。

 彼らがどうして微笑んだのかはわからない。しかしその表情には、無言の肯定感が漂っているように見えた。あるいは「こんな人たち」が声を上げる場面に出くわしたことによるある種の愉快さの表れなのかもしれない。いずれにしても、政権を批判することがより許容されるようになっているのだとしたら、そのことの意味は大きいと思う。

 私は正直、政権に批判的な意見をすることにいつも息苦しさを感じている。ネット上はもちろん、日常の中でも、特別視され、否定的な意見を投げかけられることも少なくない。何でわざわざこんなことしているのかと思ってしまう時もある。

 しかし考えてみれば、これだけ多様化が進んだ社会なのだから、政権が自分たちを代表してくれているという感覚を得られない人々が多くいるのは必然だ。それなのに政権を批判することが否定的に捉えられるというのは、民主主義社会としては不健全だ。政権を批判するくらいのことは当たり前だという感覚が共有されているほうが望ましい。

 さらに言えば、これまでであれば、「与党もダメだが、野党もダメだ」といった論法で、現政権への評価を留意するような人々もかなり多かったと思う。

 残念ながら、依然として国政レベルで、他の受け皿が現れているとは言えない。それでも政権に対してダメなものはダメだと言うことが、当たり前になりつつあるとしたら、それは民主主義社会として望ましい変化だと思う。

 他に頼るべき勢力がないからといって、現政権にフリーハンドを与えるとしたら、それでは政治は良くなりようがない。問題があれば適宜指摘して、改善を求めていく、そのほうがずっとポジティブな政治参加のあり方だと思う。

 政局の「潮目が変わった」ことが、民主主義社会にとってもいい方向への転換に繋がっていくことに期待したい。(諏訪原健)

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諏訪原健

諏訪原健

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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