「ハリル叩き」は正しいのか? 感情論による批判では日本サッカーの“成長”はない (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ハリル叩き」は正しいのか? 感情論による批判では日本サッカーの“成長”はない

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メディア・ファンから多くの批判を浴びているハリルホジッチ監督。(写真:Getty Images)

メディア・ファンから多くの批判を浴びているハリルホジッチ監督。(写真:Getty Images)

「ハリルホジッチ叩き」

 日本代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチを巡って、激しい批判が巻き起こっている。マスコミだけでなく、サッカーファンの間でも、その「人気」は底を突きつつある。サッカー関係者からも、「ハリルでは戦えない」と失格の烙印を押される始末だ。

 しかし、安易に「ハリル降ろし」に"加担"するべきではない。

 筆者は、就任直後の試合からハリルホジッチの力量に疑問を呈してきた。当時、周囲はハリルに対し、むしろ歓迎ムードだった。「八百長疑惑」のハビエル・アギーレ前監督の後だったこともあるだろう。なにより弁が立つハリルホジッチを、「イビチャ・オシムの再来」のようにメディアは迎えていた。ただ、それこそ軽率だった。饒舌すぎるハリルホジッチはその後、傲岸不遜かつ弁明のような発言を繰り返し、墓穴を掘る。

 実は、デビュー戦直後の会見で"予兆"はあった。2014年W杯まで日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ元監督の戦術的欠陥を誇らしげに批評。危うさはあったのだ。

 また、選手スカウティングでも偏見が見えた。ハリルホジッチは独自の視点は持っているが、それを無理矢理に日本人選手に当てはめ、就任当初からズレが出ていた。徹底した「フィジカル主義」で、スピード、パワー、アグレッシブネスに引っ張られた選考。選んでは外すの繰り返しになった。それにほぼ1年半を要し、挙げ句に「選ぶ選手がいない」という発言もあった。

 つまり、戦略的にしくじり続けている。信望を得られていないし、強化も十分にできていない。

 では、すべてがネガティブなのか?

 1‐1で引き分けた直近のオーストラリア戦は、「みっともない」「もっと攻撃しろ」というような否定的意見が多かった。

 しかし、これは感情的すぎる批判だろう。「ハリル憎し」の嫌悪感に振り回されてしまっている。なぜなら、オーストラリア戦の日本は戦術的に目覚ましい戦いを見せ、原口元気の先制点はまさに「カウンターの手本」だった。


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