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今年の前半、西日本新聞に自分が昔読んできたマンガについてのエッセイを連載していました。
物心ついた頃から近年の物まで印象に残る作品をあげていきましたが、作品内容も確認したくて、随分と古い作品を買い集めました。
十代の頃読んだ少女マンガにも言及したので、30数年ぶりに一条ゆかりの『デザイナー』や『こいきな奴ら』、大矢ちきの『雪割草』、清原なつのの『花岡ちゃんの夏休み』などを読み直したものです。
連載に限りがあり、倉多江美や青池保子、吉田秋生なんかに触れられなかったのは残念でした。
書き始める直前、連載準備をしている頃に、70年代の少女マンガのことをツイッターでもちょっとつぶやいたところ、ものすごい反応があり、夕方の4時くらいから夜中の2時くらいまで、入れ替わり立ち替わりいろんな方とあの頃の少女マンガについて語り合えたのは楽しい想い出です。
昔のマンガに関する記憶を整理していて、改めて気づいたことがありました。
小学生の時に「少年マガジン」「サンデー」「ジャンプ」「チャンピオン」「キング」とどの週刊マンガ少年誌を見ても永井豪が連載している時期があって、「すごいなー、この人」と感心していました。
今、調べ直すと1972年の初め頃ですので、僕は小学校六年生でした。
「少年マガジン」で『オモライくん』、「少年サンデー」で『あにまるケダマン』、「少年ジャンプ」で『ハレンチ学園』、「少年チャンピオン」で『あばしり一家』、「少年キング」で『スポコンくん』。
週刊誌だけでこれだけです。しかも多分月刊誌でも連載を持っていたはずで、当時小学生ながら「毎日一本描いても間に合わないんじゃないか。この人はどうやって仕事してんだろう」とビックリしました。ただ「キング」の連載は一ヶ月ちょっとで終わったので「ああ、やっぱりきつかったんだな」と思ったのもはっきり覚えています。
事実、本人の自伝風マンガ『激マン!』のなかで、作者とおぼしき人物が「忙しすぎてキングの連載は早々に終わらせた」と述懐しているので、本当に大変だったのでしょう。
その頃、石森章太郎(当時)や水島新司など多作な作家が多かったとは言え、週刊誌5誌同時連載なんて偉業を成し遂げたマンガ家は他にはいないぞと、ずっと思っていました。
当時、殆どの少年マンガ誌に目を通していたという自負があったので、そんな作家がいれば必ず認識しているはずでした。
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