――著書の中に「異性愛者はカミングアウトしないのに」という言葉もあります。

 異性愛者にとっては、好きな人の話を共有することが当たり前で、わざわざ言うことが理解できない人もいます。だけど、異性愛者が「誰が好き」、「どういうパートナーと生活している」と当たり前に話していることと同じことをするためにカミングアウトしなければいけない。すごく特別なことをしているととらえられることに疑問を感じていたんです。

――他にも「カミングアウトは社会に対する贈り物かもしれない」という言葉が印象的でした。

 性的マイノリティの中に「カミングアウトは必要ない」と言い切ってしまう人がいることが少し気になっていました。「必要ある」「必要ない」ということではないんじゃないかと思えたんです。

――それがなぜ「贈り物」に?

「贈り物」って必要があるとかないとかそういう話ではなくて、ないならないでいいし、あったらあったでいい。でも、場合によっては贈り物って「うわ、こんなのもらっちゃったよ」っていうのもあるじゃないですか。でも、だからといって必要ないというわけではなく、まず贈る側の気持ちがある。そのあとの、「こんなのもらっちゃったよ」でも関係が作られるわけじゃないですか。それと似ていると思って「贈り物だな」って。

――なるほど。これまでは「同性愛者と異性愛者」の隔たりで議論が目立ちましたが、最近は同性愛者の中での議論が増えているように感じます。

 それは、同性愛者の人たちがより顕在化したからだと思います。これまでは誰も言葉を発せない時代があったし、発したとしても際立った人しか発言できなかった。その後、匿名が多いけどいろんな人が発言できるようになってきた。徐々に同性愛者が受け入れられるようになってきたからこそ「発言」の抑圧がなくなってきて、議論が起こるようになったんだと思います。

――いろんな意見が見えるようになってきた、と。

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「カミングアウトを受ける側」だって時間がかかる