葵わかな(右)と松坂桃李 (c)朝日新聞社
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 NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」が10月2日にいよいよスタートする。女優の葵わかな(19)が、大阪を舞台に周りに笑いをふりまくヒロイン・藤岡てんを演じる。ドラマのテーマは、“笑い”。吉本興業の創業者で女性興行師・吉本せいがモデルである。「大阪を笑いの都に」と夢を抱き、寄席の経営者となって“笑い”を一大ビジネスに成長させた、せいの人生とはどのようなものだったのか? 

 せいをモデルにした作品は少なくない。舞台では森光子、藤山直美などが主演を務め、映画・テレビドラマにもなっている。山崎豊子の直木賞受賞作『花のれん』(中央公論社)もその一つ。ドラマチックに笑いあり、涙ありの生涯が描かれている。評伝なら脚色をそぎ落としてあるはず。芸能評論家・矢野誠一氏の著書『女興行師 吉本せい/浪花演藝史譚』(同)をもとに、せいの歩みを追ってみた。

 せいの父は兵庫県明石市出身で、大阪に出て米穀商を営む林豊次郎。その三女として、1889(明治22)年12月5日に生まれている。戸籍に出生地がないため、生まれた場所が明石市か大阪市かはっきりしない。死亡した者も含めて十二人きょうだいで、99(同32)年生まれの三男・正之助と、1907(同40)年生まれの四男・勝(のちに弘高)は、せいの片腕として吉本興業を支えた。

 義務教育を終えると、大阪の商業の中心地・船場の実業家のところへ奉公に出される。ここは「奉公人の食が進むと損をする」として食事中に悪臭を漂わせるなど、徹底して倹約に努める家風だった。せいは奉公先で厳しく鍛えられ、「無駄な金は使わない」という大阪商人のマインドを叩き込まれた。

 1910(明治43)年に上町で荒物問屋を営む吉本吉兵衛(もとは吉次郎、通称・泰三)と結婚する。嫁ぎ先の商売はうまくいっておらず、せいが債権者からの取り立てに対応することも。姑は厳しく、手に余るほどの家事を任せた上に嫌みを言い続けた。嫁いびりは当時、珍しくなかっただろうが、妻の悩みは、夫が家業と家族に無関心だったこと。吉兵衛は当時流行した剣舞にのめり込み、芸を披露したくて地方巡業にまで出たらしい。道楽者の夫である。

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