諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した
諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した
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「組織的犯罪処罰法改正案」(以下は「共謀罪」)が参院本会議で審議入りするなど、この法案が成立する可能性が大きくなってきた。そんな状況の中、元SEALDsの諏訪原健君は、2015年に安保関連法に反対の声を上げながら、戦争の始まりについて考えたことを思い出していた。

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 2015年、安保関連法案に対する抗議行動の中で、「戦争反対」というコールを何度も耳にした。マイクを手にしたコーラー(扇動者)に合わせて、僕自身もその言葉を幾度となく口にしたのだが、最初は大きな声で叫ぶことができなかった。

 同じ頃、友達に法案に反対する理由を聞かれても、僕は「戦争」という言葉をまったく使わないようにしていた。従来の政府による憲法解釈を引用しながら、憲法の枠を超える法律を作ってはいけないとか理屈っぽく語っていた。

 そんなふうに振る舞っていたのは、「戦争」という言葉が、当時の僕にはあまりに仰々しいものだったからだ。言葉が想起させるイメージと、目の前にある日常の風景との間に大きな距離を感じて、「戦争」なんて大真面目に語ることにためらいを覚えていたのだった。

 しかし、僕は気付いたら、そんな迷いがあったことすら忘れるくらいに、心の底から「戦争反対」という声を上げるようになっていた。そのきっかけは、遠い過去に祖父が語ってくれた言葉をふと思い出したことだった。

 小学生くらいの頃、祖父から突然電話がかかってきて、こんな話をされた。

「たけしちゃん、今日はね、『シンジュワンコウゲキ』といって、昔日本が戦争を始めた日なんだよ…」
「何があっても、戦争だけは絶対にしたらいけないよ…」
「戦争にはね、何の幸せもないんだよ…」

 その言葉を聞きながら、カレンダーに書かれた「12月8日」という日付をまじまじと見たことを今でもよく覚えている。

 祖父が終戦の時に、「トッコウ(特攻)」の訓練をする「ヨカレン(予科練=旧日本海軍の航空機搭乗員の養成制度)」というところにいたことは何となく知っていた。

 でも祖父は普段、あまり戦争の話なんてしなかったし、むしろ先祖や親類がもらった勲章を、どこか誇らしげに見せてくれた姿のほうが印象的だった。だからこそ祖父が電話口で語った言葉は、僕の胸に強く響いた。

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