開放感のある主聖堂はイエスと弟子たちの「最後の晩餐」の食卓である祭壇を囲んでいる
開放感のある主聖堂はイエスと弟子たちの「最後の晩餐」の食卓である祭壇を囲んでいる
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右手はマリア聖堂、奥にそびえるのは上智大学だ。芝生は信徒の子供たちの遊び場でもある
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主聖堂では復活のイエス像が人々を見守る
主聖堂では復活のイエス像が人々を見守る
高さ41.8メートルの鐘楼の鐘は、第2次大戦で使われた戦車や大砲からつくられている
高さ41.8メートルの鐘楼の鐘は、第2次大戦で使われた戦車や大砲からつくられている

 東京・四谷の駅前にある聖イグナチオ教会では、日曜日の朝ともなると、さまざまな顔や肌の色をした人々がやってくる。欧米人、アジア系、アフリカ系、そして60%ほどは、フィリピン人だ。

 なごやかな雰囲気の中、三々五々人が集まり、主聖堂ではミサがはじまる。祭壇を取り囲むように700ほどの座席がある主聖堂はもういっぱいだ。座りきれず、後方に立っている人も多い。荘厳なパイプオルガンの調べの中、聖歌隊の歌声とともに司祭が入堂してくる。カトリック教徒ではなくとも、心洗われる、清浄な空気が満ちていく。

 聖イグナチオ教会の前身である「幼いイエズスの聖テレジア教会」は、1936年に設立されたものだ。しかし1945年5月の東京大空襲で全焼してしまう。その後は上智大学のクルトゥルハイム聖堂が一時的な教会として使われるようになった。

 1949年に全焼した教会を再建、その後1999年に現在の新聖堂が建てられた。カトリック修道会イエズス会の創立者である聖イグナチオ・デ・ロヨラからその名を取り、聖イグナチオ教会として現在に至っている。いまでは登録されている信徒数およそ1万6000人という、日本でも最大規模の教会だ。

 その特徴はなんといっても、インターナショナルなこと。もともと戦前から、欧米人のビジネスマンたちや大使館関係者の心のよりどころとして愛されてきた。近年はカトリックの留学生や労働者の急増を受けて、さまざまな国の言語でミサを行っている。日本語や英語のほか、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、ベトナム語、インドネシア語……。

 言葉によって雰囲気もだいぶ違う。例えばスペイン語のミサは、パイプオルガンではなくギターの演奏で行なわれる。司祭の言葉は笑いを交え、信徒たちに親しく語りかける。陽気なラテンの気質は、ミサにも表れているようだ。

「やはり自分たちの親しんだ母語でのミサのほうが、すっきりするんです」

 と語るのは、スペイン語のミサを受け持つシスター・マリア・マティルデさん。メキシコ・ミチョアカン州の出身で、宣教のために1961年に来日した。18年間を日本で過ごした後、スペインやイタリアを経て、再び日本で生活をしている。

「国際的であることがこの教会の特徴です。さまざまな国の人が集まってきます。だからできるだけつながりが生まれるようにと、季節ごとの行事や、バザーなども行っています」(マティルデさん)

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