日本社会に大きな足跡を残して逝った高倉健さん。元文部科学省官僚で映画評論家の寺脇研氏が、高倉さんの軌跡を振り返る――。

 わたしが映画に熱中し始めた高校時代は東映やくざ映画全盛期。高倉健はそのトップスターだった。1960年代末の当時は学生運動全盛期でもある。「背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹」「その名も網走番外地」は大学生たちの愛唱歌だった。男の意地を貫く健さんの姿が彼らの琴線に触れたのだろう。
 
でもわたしには、どちらかというと、しがらみを背負う鶴田浩二や女だてらの藤純子の苦渋を秘めたやくざ人生の方に惹かれるものがあった。高倉健はあまりにも潔く正しくカッコよくて、まぶしい存在だったのである。やくざ稼業でありながら常に清々しい。 そのまぶしさは最後まで不変だった。

 だから、東映が『仁義なき戦い』などのやくざの生態が生々しい実録路線に転じるとそこには出番が見出しにくくなる。東宝の『八甲田山』、松竹の『幸福の黄色いハンカチ』に転じていくのは自然な流れではなかっただろうか。

 裏通りのやくざ映画でも表通りの文芸大作や大人のラブストーリーでも、高倉健は高倉健。ストイックで全力投球する演技ぶりは日本映画の正統を担う確固たる気概を感じさせた。誰が見ても日本の男優のトップの座にあり続ける。

 わたしにとっての代表作は何といっても『新幹線大爆破』だ。経歴的には裏通りと表通りのちょうど間に当たる。新幹線が博多まで開通する繁栄の陰で倒産に追い込まれた町工場の経営者で破天荒な犯罪に挑み挫折する敗北者を、それでも凛々しく演じ切った。それは、「東映の高倉健」から「日本の高倉健」になっていく転機の兆しでもあった。

 遺作となった『あなたへ』でも、背筋をぴんと伸ばしたまっすぐな姿勢は変わらぬままだった。東映撮影所で育ち、東映のエースから、広く日本映画全体の至宝と言える位置に立つ。江利チエミとの離婚後は私生活を曝さず、その一方で、ひけらかさないが明確な思想と信念を有していた。こんな大きな器のスターは今後出ないと断言できる。

 そして「日本の高倉健」は『君よ憤怒の河を渉れ』で中国の観客をも魅了する。映画青年の頃にその観客の一人だった中国の名匠チャン・イーモウ監督に請われて成立した『単騎、千里を走る。』は日中映画交流の金字塔として永遠に記憶されるだろう。この記憶が残る限り、文化の力が日中関係を破局から救うと信じる。日本人の誠実を中国のスクリーンに刻んだ価値は計り知れない。

 2013年に映画俳優としては森繁久彌に次ぐ2人目の文化勲章を受けるが、本人が「私みたいにヤクザ映画ばかり出ていた俳優がいただけるとは、夢にも思いませんでした」とコメントしたように、決して表通りの作品だけが対象の受章とは受け止めるべきではない。出世作「日本侠客伝」シリーズをはじめとする裏通りの作品まで全部含めて、この名優の遺した仕事を評価していくべきだろう。表通りの優等生の顔しか知らないのでは、真の高倉健を語る資格はあるまい。

寺脇研(てらわき・けん)
1952年生まれ。京都造形芸術大学教授。文部省(現文部科学省)大臣官房審議官(生涯学習政策担当)、文化庁文化部長を歴任、2006年退官。高校時代から「キネマ旬報」に映画評を執筆。著書に『文部科学省- 「三流官庁」の知られざる素顔』 (中公新書ラクレ)、『ロマンポルノの時代』 (光文社新書)ほか。映画プロデューサーとしても活躍中。