それはまるで、今、主役なのは人間ではなく風景だと言わんばかりだ。町からは人の姿が確かに消えた。だが、いなくなったのは人間だけで、それ以外の景色は何一つ変わっていないのではないか。例えば、部屋の中から窓の外に目を向ければ、人の往来はないものの、隣の家の屋根や扉、庭の木や鉢植えの花、飛び交うスズメやチョウは何も変わらずにそこにいて呼吸をしている。「コロナだ」「自粛だ」と騒いでいるのは人間だけ。春の日差しの中で、風景は変わらず輝いている。少なくとも筆者にはこの作品が、王舟が人間のいない世界で生き生きと動く風景を、一つのフレームの中で描いたもののように聞こえてくるのだ。
その証拠に、この作品には翳(かげ)りや重さがほとんどない。それどころか多幸感もあり、ブライトでさえある。人間がいなくなったことでむしろ、のびのびとした景色の躍動を伝えているかのようだ。もちろん、これは筆者の想像でしかないのだが、少なくとも、王舟がこのステイホーム期間、亡くなったり治療中だったりする方々への思いを胸にとどめながらも、自分と外との関係性を豊かに見つめ、音楽を制作できることに大きな喜びを感じていただろうことはよくわかる。
アルバム・タイトル「Pulchra Ondo」はおそらく、王舟の造語だろう。「Pulchra(プルクラ)」とはラテン語で「美しい」という意味。「Ondo(オンド)」は「温度」だろうか。20年春に突如訪れた人のいない景色にも、実は温かみと美しさが宿っていることを、この作品は鮮やかに伝えてくれているのである。
(文/岡村詩野)
※AERAオンライン限定記事