批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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「GoToトラベル」が迷走している。実施直前になって五月雨式に修正が打ち出され、効果が疑われる状況になっている。連休前日の22日にはキャンペーンが始まったが、同じ日に都知事や日本医師会会長は外出自粛を呼びかけた。
外出するほうがいいのか悪いのかどっちなんだと頭を掻き毟りたいところだが、ここにはまさに前回紹介した「耳を傾けすぎる政府」の弊害が現れている。
GoToトラベルを含むGoToキャンペーンは、そもそも緊急事態宣言の発令と同日、4月7日に新型コロナ関連の経済対策として閣議決定されたものである。感染拡大期に外出支援を打ち出す矛盾は当時より指摘されていたが、それはまさに経済界に耳を傾けすぎた結果だった。そしていまはマスコミと世論に耳を傾けすぎた結果、場当たり的な変更を余儀なくされている。各都道府県にも「耳を傾けすぎる知事」が現れ、ますます混乱が深まっている。
民主主義の根幹は政治が民意に耳を傾けることにある。それは正しいが、民意がひとつとは限らない。矛盾する民意が乱立しころころ変わるとすれば、政策に一貫性はなくなる。国民のコロナ認識はいまだ統一されていない。いまはその不統一がそのまま政策に反映してしまっているのだ。
本来ならこの状況では、民意ではなく科学に基づく政治が好ましい。けれども現状ではそれも難しいようだ。流行が始まり半年近くが経つが、ウイルスの挙動はよくわかっていない。感染の広がりすら調査できていない。感染拡大リスクと経済回復を比較計量しようにも、正確なシミュレーションがあるわけではない。どの専門家を参照するか、その選択自体が民意の反映になってしまうのが現状だ。
かつて山本七平は、日本は「空気」に支配された国だと分析した。空中を漂う不可視の敵に怯え、情報不足のまま予測が乱立して政治を振り回す現状は、二重の意味で「空気」に支配されているといえる。いまはだれもが、ウイルスの意味と世論の意味の「二つの空気」を気にしている。コロナ禍は科学と民意の対立を無化し、すべてを空気に変えてしまったのである。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2020年8月3日号