ダニエル・K・イノウエ国際空港
ダニエル・K・イノウエ国際空港
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ハワイ金刀比羅神社の鳥居の足
ハワイ金刀比羅神社の鳥居の足
ビショップ・ミュージアムに展示された当時の移民の家に祭られていた神棚
ビショップ・ミュージアムに展示された当時の移民の家に祭られていた神棚

 コロナ禍の影響で海外旅行はおろか、国内旅行でさえも行きにくい状況が続いている。以前の原稿で「寺社が自粛を続けることが正しいのか」と疑問を投げた筆者に対して「ステイホームしてればよい」というコメントがついていたが、それはきっと先行きの収入に不安のまったくない方のコメントだったのだろうと思う。日本でさえこのように考え方が二分されるのだから、ほぼ観光だけで生きているハワイのような地域の状況は惨憺たるものだ。未来があるのかもわからない。

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●ホノルル国際空港の現在の正式名称は

 ハワイ州は、2019年に史上初の訪問者数1000万人超えを達成した。昨年は明るい未来に地元は湧いていたのだ。もちろん、アメリカ本土からの観光客が半分以上を占めているが、日本からの旅客も全体の15%くらいはいて重要な収入源となっている。このハワイへの入り口となるオアフ島の国際空港は、17年にダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport)と名前を変えた。この名はもちろん、12年に亡くなった日系二世でアメリカ合衆国上院議員・ダニエル・K・イノウエ氏から付けられたものである。

●日系人だけの陸軍第100大隊

 明治時代に日本からハワイへ移民した両親のもと、ホノルルでダニエル氏は誕生した。ハワイ大学在学中に日本軍による真珠湾攻撃が行われた。ダニエル氏に限らず、アメリカで生まれた日系人たちはスパイの嫌疑を掛けられ、ある者は強制収容所に、ある者は逆に日本に対するスパイになり、そして多くがアメリカ軍の兵士として戦場に向かった。

 世界大戦の端緒となったこの頃のハワイは、すでに日本からの移民と日系人が多かったことから特に政府から厳しい目を向けられるようになり、米国への忠誠心を示すため、軍に志願する若者が後を絶たなかった。ハワイの日系人だけで組織された陸軍第100大隊はやがて、ダニエル氏も所属した有名な第442連隊戦闘団となり、特に戦闘が厳しかったヨーロッパ前線へ送られることになる。この第442連隊に関しては多くのドキュメンタリーなども作られているが、勇猛果敢な連隊としてアメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊として後世に名を残している。

●日系人たちの鮮烈な戦績

 ここで連隊の戦歴を詳しく紹介しないが、アメリカ人でありながら日系人差別の中で生き、それを跳ねのけるために命を賭した若者たちが、ローマ解放、フランス・ブリュイエール奪還、テキサス大隊の救出をはじめ、不可能と言われた戦地で勝利を挙げ続けた。その代償として1万人近くの死傷者を出し、上記ダニエル氏も片腕を失うことになる。それほどまでの戦歴をあげた日系人部隊の活躍が明らかにされたのは、ほんの数十年前のことだ。2つの祖国の間で、涙を流しながら戦いを続けた若者たちの記憶は、ホノルルにある「ハワイ・アーミー・ミュージアム(Hawaii Army Museum)」に残されている。日本人はほとんど訪れることはないが、日本にはいまや残っていないいくつもの戦争の記録が淡々と展示されている。

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