首相にとって、内閣改造は政権の求心力を高める切り札である。だが、政権与党・民主党では、改造前から異論・反論が噴出し、一向に収まる気配がない。

「菅さんはとんちんかんなんだよ」

 と苦笑するのは、首相をよく知る民主党幹部だ。

 民主党批判の急先鋒だった与謝野馨・前たちあがれ日本共同代表に経済財政相のポストを奪われた海江田万里経済産業相が、「人生は不条理」とこぼすなど、早くも"閣内不一致"の様相さえ呈している。

 そんな政権の迷走ぶりをよそに、菅首相の目の上のこぶである小沢氏は、年末から年始にかけて、本誌やインターネットの動画サイト、衛星放送などに立て続けに出演し、政局だけでなく政策についても持論を発信し続けている。

 かつて菅首相を支持したこともある議員の一人は、こんな反省の弁を述べた。

「菅さんは首相になることが目的の人だった。そんな人を選んでしまった罪は重いと思っている」

 歴史に「たら」「れば」は禁物だというが、もし、昨年の代表選で小沢氏が勝ち、首相になっていたら、日本はどうなったのか。本誌のインタビューなど、最近の小沢氏の発言から改めて検証してみよう。

 

 ◆景気対策・財源 所得の分配率上げ、予算はぶった切る

 菅首相は昨年末から、「政治とカネ」の問題をことさらに重視し、小沢氏が政治倫理審査会で説明することを強硬に求めてきた。

 だが、多くの国民にとっては、「政治とカネ」論争よりも、まずはこの不景気をどうにかしてくれというのが本音だろう。

 小沢氏が目指す景気対策は、国民所得を上げ、国内消費を盛り上げようという、きわめてオーソドックスなものだ。

「個人の消費が伸びなければ、経済の立て直しなんかできません。だからやっぱり、国民の(年金や医療などの)将来不安をなくすこと、その一環としてセーフティネットをつくること、そして一般の人たちへの所得の分配率を上げること、その3つが必要ですね」(「週刊ポスト」1月14・21日号)

 中小企業への支援を重視する姿勢も顕著だ。

「大企業はもう少し社員や下請けの中小企業の人たちに利益配分を手厚くするべきですよ。自分の懐にだけためたって、国民全部が使わなくては自分の会社も悪くなるのですから」(テレビ朝日「スーパーモーニング」10年9月3日)

 他方、財政赤字に苦しむ日本の「財源」問題では、官僚に丸投げの予算編成ではなく、政治家が自分たちで予算の必要性を判断して取捨選択すれば、財源は捻出できるという立場だ。

「優先順位は、役人の仲間同士じゃつけられない。大臣はじめみんなが、腹を決めてやれば、財源は出てくる」(インターネット番組「ニコニコ生放送」10年11月3日)

 小沢氏は、党幹事長だった09年12月、土地改良事業費の予算を半減させる「荒業」を見せた。それが予算全体に広がれば、財源論争に新たな地平が開けるのかもしれない。

 

 ◆ねじれ国会 野党との信頼関係、筋を通して築け

 仮に首相が代わったとしても、衆参ねじれの状況は変わらない。だが、やりようによってはなんとかなる、というのが、小沢氏の持論のようだ。菅首相やほかの民主党議員と違い、小沢氏はねじれ国会を乗り切った経験がある。

 小沢氏は1989年、47歳の若さで自民党幹事長に就任した。当時の参院第1党は社会党で、参院では野党が過半数を握っていた。そこで小沢氏は公明党や民社党とのパイプを築くことに腐心した。

「22年前に僕が自民党幹事長だったときも、参議院で少数で、ねじれ国会でした。だけど、野党の最も反対するPKO協力法案も、ほとんどの法案も問題なく通りました。それは、野党にも建前と本音があるから。本音で反対するのは仕方ないけど、建前では反対するが理屈はわかっているよという場合なら、あとは信頼関係ですから」(BS11「INsideOUT」1月5日)

 ポイントは「筋を通す」ことのようだ。

「例えば、1988年に竹下政権で消費税の導入を決めた時、僕は官房副長官でした。野党は『減税』を先にやれば審議に応じてもいいという。そこで、当時の竹下登首相と宮沢喜一蔵相を説得した。宮沢さんは心配したけど、これで消費税導入が実現しました」(「週刊朝日」10年9月17日号)

 ちなみに、小沢氏はかつて「日本国憲法改正試案」という論文を月刊誌に発表し、こう述べている。

「選挙によって国民の代表を選ぶのは、衆議院に限定して、参議院はチェック機能に徹するべきだ」(「文藝春秋」1999年9月特別号)

 参議院はイギリスのような「権力なき貴族院」に近い議会に変え、参院議員は名誉職的なものにするという考え方だ。

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