ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、作家になったきっかけについて。
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毎月、平均すると三冊の本(小説のための資料)を買い、五冊の単行本(知り合いの作家からの贈呈本が多い)と二十冊ほどの雑誌(小説月刊誌、週刊誌、出版各社の小冊子)が郵送されてくる。みんないったんは仕事部屋(二階の屋根裏部屋。グッピーの水槽が八つにサワガニの水槽がひとつ、よめはんの胡蝶蘭が三十鉢はあり、オカメインコのマキも居住している)に持ち込んで少しずつ読み、読み終えたものは床に積んでおくのだが、それが部屋のあちらこちらで塚になり、にっちもさっちもいかなくなったので、半年ぶりに整理することにした。
贈呈本は麻雀部屋の書棚と応接間(ここはよめはんの絵と額で占領されている)の書棚に入れ、もう使うことのない資料と雑誌類は段ボール箱に詰めて地下室に運び、月に一回の資源ゴミの回収日に出す。重いものを抱えて狭い階段を昇り降りしたら気息奄々(きそくえんえん)、膝(ひざ)がガクガクし、少しはよめはんに手伝ってもらおうと画室に呼びに行ったら、畳の上にダニ避(よ)けのアルミシートを敷いて昼寝をしていた。よめはんはなぜかしらん、いつも口をあけて寝る。
かくいうように、わたしはいま本にまみれた生活をしているが、子供のころ、家には本というものが一冊もなかった。父親は新聞を読むが、本は読まない。母親は新聞すら読まなかった。その反動か、小学生のころは休み時間になっても運動場に出ることがなく、教室で学校図書館の童話や民話ばかり読んでいた。授業参観のたびに、こんな協調性のない子は珍しい、と担任は母親にいったらしいが、外を走りまわるより本を読むのが好きなのは直しようがない。わたしはとりわけ五、六年生のときの担任が嫌いで、彼女のいうことにはことごとく反抗し、廊下はもちろんのこと、職員室に立たされる回数は学年でぶっちぎりのトップ(いまなら児童虐待だろう)だった。