歴史的にも重要な意味を持つ死者の書ですが、棺に入れて埋葬すればちゃんと楽園(天国)に行けるという役割を持っていました。死者の書がないと、生前に嘘や盗みを働いていた場合、楽園には行けないし、よくない運命をたどってしまうと信じられていたわけです。
■今も昔も本質は一緒
楽園に行くために棺に入れるものは死者の書の他にもいくつかあるのですが、最も重要なものの一つとされていたのが「心臓」でした。現代では、肉体の中で考える場所は「脳」であることが科学的にも証明されていますが、古代エジプト人は魂が宿る場所は心臓だと信じていたのです。
そのため、ミイラ化する際に、心臓をあえて残していました。取り除いた他の臓器は、カノポス壺と呼ばれる容器に入れて保護しています。山犬頭の容器は胃、人頭の容器は肝臓、ヒヒ頭の容器は肺、ハヤブサ頭の容器は腸といったふうに入れる容器も決まっていました。保護するくらいなら取り外さなければいいのにと思いますが、腐敗などの問題を考えるとそうせざるを得なかったという事情もあったのかもしれません。
古代エジプト人が思い描いていた楽園は、天使がいるような場所でも、特別な力が与えられる場所でもなく、死後もなお稲刈りをしているような普通の生活でした。この様子は、展覧会では動画でも再現されているので、見るととても面白いと思いますよ。
つまり当時の人々にとって、平和に暮らす=楽園だったんです。その楽園に行くには、生前に何をしていたとしても死者の書さえ入れておけばいいという、都合よくすがってしまうような、弱さもある。そう思うと、古代も現代も、人の本質はそんなに変わらないように思えてきますよね(笑)。
僕はよく、どうしたら子どもが歴史好きになりますかって聞かれるんですが、まず自分が楽しむことが、一番大事なんじゃないかなと思っています。
■娯楽から学べることも
僕が歴史を好きになったきっかけは、小6の担任の先生が出した邪馬台国の場所を調べるという宿題でした。九州説や畿内説など諸説あるので、いろいろ調べて仮説を立てて自分なりの結論を出しました。それが、めちゃめちゃ面白かったんです。