東京五輪の金メダルラッシュで幕を閉じた一方で、新型コロナウイルス感染者数は過去最高を更新し続けている。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号で、白井聡・京都精華大学国際文化学部人文学科専任講師が、この矛盾や弊害に苦言を呈する。
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東京五輪が終わった今は瀬戸際です。ここまで腐りきった政治が続き、それが「コロナ禍の五輪強行」という誰の目にも明らかな矛盾や弊害として露呈しているのに、これに対しても目をつむり続けるのであれば、日本はより厳しい形で破局するしかない。76年前の戦争で300万人超が亡くなりました。同規模の悲劇に直面しないと日本社会は覚醒しないのか。
主権者である国民の「物を考える力」が根本的に失われています。菅義偉政権の発足時の支持率は70%台。今は30%前後です。しかし、こうした数字にさしたる意味はない。なぜなら、これまで新型コロナの新規感染者数が増えれば政権の支持率が下がり、感染者数が落ち着けば支持率が上がるというパターンが繰り返されています。目の前の現象に一喜一憂し、感覚的な反応を示すだけ。支持をやめた人に、なぜ菅首相の無能さを自分は見抜けなかったのか、という内省がないならば、菅首相が引っ込んでもまた次のペテン師にだまされるだけです。こうした国民の意識レベルが変わらない限り、日本のデモクラシーは衆愚政治から抜け出せません。
今の日本社会は、「公正さ」に対する感覚が根本的に欠落しています。権力や利権を持つ者の近傍にいれば、おいしい思いができる。綺麗(きれい)ごとを言っても通用しない、というシニカルな態度をとるのが大人で、それが日本社会で生き抜く知恵だという考え方が主流です。
しかし、そんな日本の常識は世界で通用しません。そのことが東京五輪の開会式などをめぐる一連のゴタゴタで露呈しました。大会組織委員会の森喜朗前会長の辞任を筆頭として、いずれの件も公正さに対して、日本社会があまりに無神経だったことの結果です。