
■彼女だから候補に
研修担当者が塾生の思い出を語るのだが、そこで井戸さんはいきなり「香水がきつかった」と言われた。激しく傷つき何も言えずにいたら、「そんなこと、ここで言うことじゃない」と抗議してくれたのが高市さんだった。
それから10年以上経ち、井戸さんは自分の経験から「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として活動していた。06年、高市さんが入閣、少子化担当でもあったので、民法改正を訴える手紙を送った。他にも法務相、総務相(菅義偉さんだった)らにも送ったが、返事があったのは高市さんだけだった。雛型にあてはめたものでなく、きちんと内容に則していて、手書きの署名が添えられていた。誠実に働き、きちんと事務所を運営している政治家だと思った。
「彼女を今の高市早苗にしたのは有権者であり自民党。彼女はそのルールブックに則ってきただけとも言えます。『女性の総理大臣候補が高市早苗なの?』っていろいろな人が言うけれど、彼女だから候補になれたというのが現実なんですよね」
その現実をはっきり見せられるのがつらい。そう井戸さんに言うと、こう返ってきた。
「多くの女性が結局、上に行くには彼女の道しかないことに気づいている。それで責任を感じるとまでは言わないけれど、自民党を、この社会を変えられなかったことがどこかやましく、だからつらいんじゃないでしょうか」
『30歳のバースディ』を読んだ。そこにいる高市さんは、自分に正直でまっすぐな人だった。その印象は、衆院選に初当選した2年後に出した『高市早苗のぶっとび永田町日記』でも変わらず、2章が抜群に面白かった。
■悔しさ知っているのに
92年、地元奈良県から参院選に無所属で立候補、落選した顛末(てんまつ)が書かれている。当初、自民党公認で出るはずが、党県連会長に阻まれる。その経緯を一言でまとめるなら、「会議の場で言われたことを額面通りに受け取ったが、実は裏で違うことが進んでいた」というもの。怒り、悔しがる高市さん。だが、その翌年衆院選に無所属で立候補、トップ当選する。たくましい。
この時、高市さんが落ちたのは、「ボーイズクラブ」の陥穽(かんせい)だった。女性は立ち入り禁止の所で物事が決まり、今もあちこちで女性を待ち受けている。その悔しさを知っているのに、何で? と、思った端から思う。だからなのか、高市さん。