反田恭平(そりた・きょうへい)/1994年生まれ、ピアニスト。2012年、日本音楽コンクール第1位。アルバム「リスト」でメジャーデビュー。18年、現ジャパン・ナショナル・オーケストラの起源となるMLMダブル・カルテットを創設(写真提供・Japan National Orchestra)
反田恭平(そりた・きょうへい)/1994年生まれ、ピアニスト。2012年、日本音楽コンクール第1位。アルバム「リスト」でメジャーデビュー。18年、現ジャパン・ナショナル・オーケストラの起源となるMLMダブル・カルテットを創設(写真提供・Japan National Orchestra)

――満を持して臨んだものの、プレッシャーはつのり、「本当につらかった」と洩らす。1次予選が終わった段階で、師匠のパレチニ先生に「もうやめたい」とメッセージを書きかけたこともある。

 同じ曲をずっと練習していると「えっ、こんな曲だったっけ?」とわからなくなる。認知能力が低下して、ゲシュタルト崩壊状態になってしまうんです。ワルツの3拍子もちょっとずつずれて、ジャズを弾いている感覚になっていく。友だちに聞いてもらうと「もう弾かない方がいいよ」といわれ、1日半くらい“普通の男の子”に戻って、ネットフリックスを観たり、ゲームをしたり。自分が心の底からもう一回ピアノを弾きたいという思いが出てくるまで止めていたら、すごく気が楽になりました。

 コンクールの中では、自分の音楽というものがぶれかける瞬間があるんです。それをどうコントロールし、自分の音楽をちゃんと世にさらけ出せるのかというのが課題の一つでした。ファイナルが決まったときはものすごくうれしくて、ベッドの上でめちゃくちゃ飛び跳ねました(笑)。

■「聴いてほしい」の一心

――今年は格段にレベルが高く、本選には10人に絞りきれず12人が進出した。ファイナルの舞台ではオーケストラと共演し、「ピアノ協奏曲第1番」を弾いた。

 この世でいちばん好きな作品です。4年前、初めてパレチニ先生のレッスンを受けた日に弾いた曲で、その10月17日はショパンの命日でした。それから4年後の10月18日、ファイナルでこの曲を弾くことになった。僕のエントリーナンバーは64番で、先生は「51年前、僕が3位に入賞した時も64番だった。何か縁を感じるな」と送り出してくださり、先生に聴いてほしいという一心で弾きました。

 あの40分間は、言葉にならないくらい幸せな時間でしたね。

■音楽家としての次の夢

――一緒に戦う仲間とは「よくがんばった!」と励まし合ってきた。最終日の深夜、結果発表で幼なじみの小林愛実が4位に入賞し、それを笑顔で讃えた。自身の名前を呼ばれた瞬間、驚きの表情を見せた。

 実は僕、2位と知っていたんです、それも2年前に。占い師に聞いていたもので(笑)。よく当たると評判だったので、メンタルの支えになるかもと思い、半信半疑で行ったんですよ。「ピアノの大会に出ようと思っています。僕は何位ですか」とストレートに尋ねると、「2位です」と即答され、「ローマ数字で『II(2)』と見えます」と。「1位は日本人ですか」と聞くと「違います」といわれ、全部当たったのでさすがにびっくりしましたね。

 実際に「2位」と知った瞬間は、心からホッとしました。先生は「僕を越えてくれてありがとう」とハグしてくださり、涙が止まらなかった。ファイナルの演奏を聴いてくれた母にも親孝行できたかなと思いますし、ずっとピアノに反対していた父親も僕にではなく、母親に「おめでとう」と(笑)。27年間で初めて聞いた言葉でしたね。

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