名バイプレーヤーとして名を馳せる俳優・高橋克実さん。舞台、映画、テレビなど幅広く活躍中だが、どのような経緯から役者になり、どんな下積み時代を過ごしたのだろうか。
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新潟県三条市で生まれ育った高橋克実さんが、初めて東京を訪れたのは小学校4年生、9歳のときだ。中野に住んでいる伯父が、「いいものを見せてやる」と言って、克実少年を自分の車に乗せて出かけた。
「どこに連れていってくれるのかなと思っていたら、それが、デパートでも遊園地でも公園でもなくて、首都高だったんです。たしか、夕方から夜にかけてだったと思うけど、空の色がどんどん暗くなっていって、反対に街はキラキラ明るくなっていったのが衝撃でした。いちばん興奮したのが、車が東京タワーの近くを通ったとき。タワーの明かりがすごく近くに感じられて、その向こうに街のネオンが光って、そのまま飛んでいきそうでした」
その3年後の1973年、中学生になった克実さんは、地元の映画館で「日本沈没」を観て号泣した。物語に没入するあまり、あのカッコいい東京が、本当に沈没してしまうように感じて、涙が止まらなかったという。
「原作を読んでから観に行ったのに、やっぱり映像の迫力がすごくて、終わってからもしばらく立てないぐらい号泣しました(笑)」
地元の高校を卒業し、「とにかく東京に行きたい」と、東京で予備校生活を送った。2浪してブラブラしているとき、今度は、「映画の世界に関わりたい」と考えるようになり、親には勘当されたも同然に。仲間とちょっとした演劇作品を作り、アルバイトで生計を立てながら、映画やドラマのオーディションを受ける日々が続いた。気づいたら、何も結果が出せないまま、26歳になっていた。
「映画おたくだったので、映画に関わりたいっていうのがいちばんの目標だったのが、自分たちでは映画なんて作れないから、まずは、少人数でもできる演劇をやることにしたんです。そうしたら、同世代の、演劇をやっている人たちと交流するようになって、知り合いの芝居を観に行っては、自分たちの芝居も観に来てもらううちに、『自分たちがやっているのは、演劇でも何でもない。コントだ!』って気づいちゃった(笑)。『もうそろそろ、夢を追いかけるのも潮時かもな』なんて思っていた矢先に、ある劇団から、『次の作品を一緒にやらないか』と誘われて、『これを最後にして、終わったら、ちゃんとした仕事に就こう』と思って参加したんです」