その萩生田氏が参院選公示直前に選挙応援を依頼に生稲晃子議員を旧統一教会の施設に引き連れていったことについて、2人ともに「どこに行ったのかよく知らない」という見苦しい言い訳をしたことが国民の「うんざり感」を亢進(こうしん)させた。
旧統一教会がどういう活動をしているか知らなかった。自分が関係した団体が旧統一教会の傘下にあるとは知らなかった。霊感商法の被害者弁護団から国会議員には繰り返し「関係を断つように」との懇請があったのだが、そのことも知らなかった。そうやって「無知を装う」ことで責任を逃れろと党執行部から議員たちに下知されたのであろうか。たしかに「事実の無知は弁疏(べんそ)となる」とローマの法諺(ほうげん)にはある。だが、国会議員が「自分は世情に疎いもので」ということを弁疏に用いてよいものだろうか。それでは、「世情に疎い人間に国政を議す資格があるのか?」という疑問にどう答えるつもりなのか。いや、答えられないことはない。「私は世情に疎いが、それはあなたがた国民と同程度に疎いということであって、民意の代表者としてはむしろ適切ではないか」と言い抜けることはできる。議員がその知性・特性において国民の平均を上回ることがない政体を「衆愚政治」と呼ぶ。日本は今そこに向かおうとしている。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年9月5日号