
人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「年齢」について。
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『死は最後で最大のときめき』という題の本を朝日新書から出したことがある。二〇二一年の七月であるから、そんな昔のことではない。
私が週刊朝日に連載しているこのコラムから抜粋したものだが、まだ誰も体験したことのない死の瞬間を「ときめき」としてとらえたもので、願わくばそうありたいという私の願望でもある。
この年末から年始にかけて、親しい友人(男性)が二人亡くなった。それもまだ元気と思われた人たちで、死因が気になった。新聞に出た死因を確かめてみる。
一人はかつて一世を風靡した雑誌「話の特集」の編集長だった矢崎泰久さん。八十九歳だった。糖尿病という持病はあったが、死因は急性白血病。「え?」という感じだった。
次いで龍村仁さんの死亡記事には、「え? え?」となった。「老衰」と書かれていたからだ。彼は八十二歳。NHKのディレクターだったが、矢沢永吉らのキャロルのドキュメンタリー番組をめぐって局の上層部と対立。NHKを辞めたが、その後映画監督としてドキュメンタリー「地球交響曲」シリーズ全九作をはじめ、優れた作品を作り続けていた。
世界各地に飛んで自然の映像を撮り、いつ会っても元気いっぱいだったのが、なぜ? そして老衰とは? もっともそのイメージから遠い人だったのだが。現在の私より四つも若いのに。
そこで「老衰」とは何か、スマホで調べてみると、病名としてきちんと存在する。いわば自然死のことらしく、特に病気はないのに亡くなった場合に使う。
「心不全」「多臓器不全」という言葉はよく目にするが、どう違うのだろうか。自分のこととして考えてみると「老衰」とは書かれたくはない。
しかも今の時代、人生一〇〇年時代といわれているのに、ほぼ男性の平均寿命の八十二歳で老衰とは? 少なくとも九十歳過ぎならば、そう呼ばれても仕方がないが……。もちろん人によって違いはあるが、彼の場合どこから見ても言葉とのイメージの違いは歴然としている。