『旅行業界グラグラ日誌』
朝日新書より発売中
人生というのは、片道切符の旅である。同じ駅のホームに、二度と立つことはない。
だから10代や20代の喉がかわいて仕方ない夏の季節が、再びめぐって来ることもない。そうして年を重ねて壮年期、老年期という旅路をたどってゆく。
ただ誰にとっても青春も中年も、初めて迎える未知の季節である。それだけに戸惑うことの多かりしことばかり、ということになってしまう。
現在の私は還暦を過ぎて、60代後半にさしかかっている。若い頃は60歳といえば、もう終わってしまった人というイメージをいだいていた。実際に昔は冬の陽だまりで日向ぼっこをしている、ご隠居然とした人がたくさんいた。
ところがいざ自分がその齢になってみれば、老いをそれほど実感することができない。なにせ身体には、ほとんどガタがきていない。精神的にも枯れるというには、まだまだ早過ぎる。
それは、そうだ。平均寿命は、どんどん延びる一方。60代というのは、人生100年時代の三分の二ほどの地点なのである。終着駅はまだ、遥か彼方である。
枯れてはいないものの、それなりに年を食ったせいか、過ぎ去りしことがやけに心に浮かぶようになってきた。忘れようにも忘れられないことは当然として、どうでもいいようなことまでも、ポツリポツリと現れる。
訪問者の種はつきない。私は20年近い歳月を、添乗員として過ごしてきた。添乗員の仕事の主戦場は、旅先である。旅には、アクシデントがつきもの。だから添乗員というのは、アクシデント対策要員のようなものである。
また団体ツアーの参加者には、いろいろな人がいる。中にはごく少数ながらも、性格に問題ありという人も確実にいる。そういう御仁はありとあらゆるトラブルを、添乗員にプレゼントしてくれる。
そのような厄介な追憶のアルバムに、人生行路の旅愁めいたものを感じてしまうのも、たくさんの修羅場をくぐり抜けてきたからであろうか。
ところで自分で言うのもなんだが、私は怠け者である。今日に至るも努力らしいことは何もせずに、いたずらに時をやり過ごしてきてしまった。
ヤル気を起こして何かを始めてみたものの、すぐに挫折。そうして途中で放り出して、ゴールに到着することができず。そんなことの繰り返しばかりである。