3月20日は春分。当日が春分の日であるとともに、以降半月続く二十四節気「春分」の節気の初日にもあたります。

以前にも書いたことですが、春分は、秋分とともに「昼夜の時間が同じになる日」と思われがちですが、実際には十数分昼のほうが長くなります。大気の屈折率分などのほか、日の出は太陽の上端が地平線上に重なり顔をのぞかせた瞬間、日の入りは太陽の上端が地平線と重なって姿を消した瞬間ですから、地球からの太陽の見た目の直径分、昼の時間が長くなる(夜の時間が短くなる)わけです。

春分は太陽が真東から上り、真西に沈む日であり、さらに天文学上は黄道(天球上をたどる太陽の一年の軌跡)における角度を表す黄径が0°(基準点)に到達した瞬間を含む日ということになり、いわば太陽の一年の出発点として重要な日になります。

菜の花咲く中を走るローカル鉄道。ほのぼのした春の田園風景そのものです
菜の花咲く中を走るローカル鉄道。ほのぼのした春の田園風景そのものです
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貴方の見ている菜の花は何の花?

まだ寒い早春から咲き始め、春分を迎える中春には盛りを迎える代表的な花の一つに、菜の花があります。里山から住宅地や都市部、線路や幹線道路沿い、川原土手など、およそ人が住む場所ならどこにでも生え育つ菜の花。桜の薄桃色、オオアラセイトウやタチツボスミレの薄紫、菜の花の黄色の取り合わせは春を象徴する彩りとして、誰もが真っ先に思い浮かべる景観ではないでしょうか。けれども、いわゆる「菜の花」という個別種は存在せず、その呼称はアブラナ科アブラナ属に属する黄色い花の総称です。キャベツや白菜、大根、カブ、ブロッコリーや小松菜などの花も、広義には「菜の花」ということになります。

アブラナ属は中央アジアからヨーロッパを中心にユーラシア大陸に30~40種が自生分布し、このうちヨーロッパの草原や畑地に普通に自生していたセイヨウアブラナ(Brassica napus)が古代に根の太るカブ(ラディッシュ)として栽培化され、次第に東に伝播、紀元前には中国に伝わり、さまざまな葉物野菜や根菜となりました。日本にもカブの一種が縄文時代には渡来していますし、人類文明の歴史とともに交配のしやすさと丈夫さで、さまざまな根菜・葉菜が作出されてきました。

ただし、各種葉物や根菜の花ではなく、花を楽しむ「菜の花」(なばな/なたね)として認識されるアブラナ(Brassica napus var.nippo-oleifera)の渡来はそれより遅く、文献上は平安時代の『本草和名』(延喜18年 918年)に「芸薹をち」として記載が見られ、続いて源平合戦さなかの激動の平安末期に成立した『色葉字類抄』(養和元年 1181年)に「芥子なたね」として記載され、この頃「なたね」と呼ばれるようになったことがわかります。さらに時代が下り、『多聞院日記』(天正20年 1592年)には「あぶらな」の名が登場し、江戸時代を通じて灯油として盛んに利用されていたことがわかっています。

江戸時代までアブラナ、明治以降はセイヨウアブラナが採油用に栽培されています
江戸時代までアブラナ、明治以降はセイヨウアブラナが採油用に栽培されています

おひたしで食べる「菜の花」って道端の菜の花と同じなの?

その後、明治時代になってセイヨウアブラナの栽培品種(キャベツとかけあわされたもの)が輸入され、日本で早生で多収量の品種に改良されます。現在「菜の花畑」で栽培されるアブラナは、ほとんどがこのセイヨウアブラナです。また、土手や空き地などで見かける雑草としての菜の花はカラシナ(Brassica juncea)の一種の帰化植物セイヨウカラシナが多く、さらにはセイヨウカラシナとセイヨウアブラナとの雑種も多く見られます。

つまり、菜の花といえば必ず引き合いに出される江戸時代の有名な俳句、

菜の花や 月は東に 日は西に (蕪村)

菜の花の 盛りに一夜 啼く田螺(たにし) (一茶)

これらの発句で小林一茶や与謝蕪村が見ていたのは、私たちが今見ている菜の花とは別の菜の花だった、ということになります。この在来のアブラナは菜種油としては栽培されなくなりましたが、意外なところで実は目に(口に?)しています。

初春ごろから野菜売り場などで出回る食用の「菜の花」(菜花)は、ほろ苦さと甘さが特徴の美味しい季節野菜ですが、これは千葉県の南房総で、切り花、養蜂用に栽培してきた和種アブラナを、苦味を抑えて食用に改良したもの。菜花の出荷量は千葉県が全国一で、このため県花ともなっています。また、京都府伏見の特産として知られる「寒咲花菜」は、和種アブラナの花蕾を食用にしたものです。

分類学的にはややこしい話ですが、花の大きさやつき方、葉の形などにちょっとした差異はあるものの、温かみのある黄色い四弁十字花がこぼれるように咲くさまはいずれも同じです。

和種アブラナから改良された食用菜の花。春の味覚です
和種アブラナから改良された食用菜の花。春の味覚です

菜の花の輝きが見せる幻惑…菜の花畑に赤ン坊が眠っている?

明治時代以降も、菜の花は日本の文人たちに愛されてきました。「小説の神様」志賀直哉はその処女作として愛らしい童話『菜の花と小娘』を「金の船」に発表しています。また俳句では、

菜の花に そふて道あり 村稲荷 (子規)

うらゝかや げんげ菜の花 笠の人 (鴎外)

江戸時代よりも、人の生活と菜の花とがさらに強く結び付けられて表現されていることがわかると思います。そして、昭和になるとその傾向はさらにつのります。中原中也の第二詩集(にして中原自身の編集による最後の詩集)『在りし日の歌』(1938年)にはこんな詩が掲載されています。

菜の花畑で眠つてゐるのは・・・・・

菜の花畑で吹かれてゐるのは・・・・・

赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です

ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です

菜の花畑で眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走ってゆくのは、自転車々々々

向ふの道を、走ってゆくのは

薄桃色の、風を切つて・・・・・

薄桃色の、風を切つて

走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲

---赤ン坊を畑に置いて (『春と赤ン坊』)

単語も文体も平易でリズミカルです。でありながら、会話体風の脈絡は奇妙で不条理です。菜の花畑の陰に、赤ン坊が眠っているのではないか?と第一連で話者は妄想のような問いかけをします。するとその突拍子もない問いに第二連で対話者らしき者が答えるのですが、まったく関係のない空で鳴る電線について語り出し、第一連の奇妙さを追認してさらにかきたてます。第三連で遠景を走る自転車に視点が移ると、第四連では、菜の花畑が走り出すというシュールな展開に。

中也の詩業の初期に傾倒したダダイズム(Dadaism あらゆる伝統的価値や常識を否定・破壊する芸術運動。ダダとも)の片鱗が見てとれますが、この悪夢のような、もしくは喜劇のような展開には当時の中也が直面していた重大な出来事が関係しています。『在りし日の歌』には「亡き児文也の霊に捧ぐ」と献辞が添えられています。献辞にある通り、詩集には繰り返し、わずか二歳で亡くなった息子・文也の象徴のような「赤ン坊」が登場します。菜の花畑に眠る「赤ン坊」も、文也の亡霊なのでしょう。我が子を亡くし、千々に乱れた中也の内面、救いをもとめてあがく不安、孤独感が、気まぐれな春風にたくされてひしひしと伝わってきて、胸をしめつけられるように感じられます。

一見うららかで明るい菜の花の黄色は、その鮮やかさと輝度の分、人を引き込む魔性を持つ花なのかもしれません。

野生化しているカラシナ。アブラナより背が高く下部の葉は茎を抱きません
野生化しているカラシナ。アブラナより背が高く下部の葉は茎を抱きません

(参照・引用)

中原中也詩集 中原中也 大岡昇平編 彌生書房

植物の世界 朝日新聞社

旬の食材百科 食用菜の花(ナノハナ/なばな):旬の時期や特徴と産地

蕪村、子規、中原…文学者たちにも愛された菜の花
蕪村、子規、中原…文学者たちにも愛された菜の花