ルノー・日産連合を対等な関係に導き、アライアンスを成功させたゴーン氏だが、いつしか自身の独裁維持に関心が傾いていった。ゴーン統治の19年間を振り返ると、逮捕に至った遠因が透けて見える(※写真はイメージ)
ルノー・日産連合を対等な関係に導き、アライアンスを成功させたゴーン氏だが、いつしか自身の独裁維持に関心が傾いていった。ゴーン統治の19年間を振り返ると、逮捕に至った遠因が透けて見える(※写真はイメージ)
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 ゴーンショックから1週間。日本では、日産を私物化したゴーン氏と、日産乗っ取りを画策したフランス政府を「悪」とする論調であふれかえっているが、ことはそう単純ではない。1999年に始まったルノー・日産のアライアンスのこれまでを振り返り、ゴーン逮捕に至った遠因をひもとく。(ナカニシ自動車リサーチ代表アナリスト 中西孝樹)

●悪のゴーンと仏、善の日産…世論は偏りすぎている

 11月20日の電撃的な逮捕劇で始まった「ゴーンショック」から約1週間が過ぎた。この間、地に墜ちたカリスマ経営者を叩き続けるメディア報道の中で、ゴーン氏や乗っ取りを図ろうとしたフランス側が「悪」であり、独裁者経営の常軌を逸した独善的な行為に我慢の限界で決起し、会社とステークホルダーを守ろうとする日産自動車が「善」であるかのような、善悪の対立軸が世論に出来上がってしまったようだ。

 しかし、このような構図に対して、筆者は強い違和感を持っている。

 ゴーン氏の不正容疑や直接的な背景の分析は多く出回っている。本稿が狙うのは、歴史的なアプローチから、ルノーと日産が対等から対立の構図へ向かった背景分析を行い、それを理解したうえで、今回のゴーン容疑の遠因を分析し、真実に近づこうということだ。

 19年に及ぶルノーと日産のアライアンス(提携)を振り返って整理すれば、3つのフェーズがあった。第1段階は1999年~2004年の「対等の精神」の5年間だ。第2期は2005年から2013年の「シナジーと不満」の8年間。第3段階は、2014年から現在に至る「対立と分断リスク」である。

 第1段階の「対等の精神」の中で、ゴーン氏が決断した重要なポイントは2つある。2002年の出資構造の見直しと、統括会社であるルノー日産BVの設立である。経営危機にあった日産は、もともと独ダイムラーベンツ社との提携に活路を見出そうとしていた。しかし、ダイムラーは米クライスラーとの合併を先行させた。ダイムラー・クライスラーは1999年に日産との提携交渉を電撃的に打ち切り、その窮地を救ったのが仏ルノーであった。

 ドイツと米国メーカーが主導する世界的な合従連衡の中で、「座して死を待つより打って出る」という意気込みでルノーは日産に6000億円を投じ、36%を出資する筆頭株主となる一大ギャンブルに打って出た。経営危機に陥った日産を、ルノーがリスクを取って救済する。これがルノー・日産のアライアンスの始まりである。

 転換点は2002年に訪れる。ルノーは1999年の出資時に保有した日産の株式ワラントを行使して2000億円の追加出資を行い、出資比率を36%から44%に引き上げた。これは日産再生の暁に、ルノーの日産支配を強固にする目的で、提携開始時に準備されていたワラントだ。

 しかし、ここに驚きの仕掛けが組み込まれた。ゴーン氏はルノーが日産へ第3者割当増資を実施し、日産はルノーへ15%出資する、独立尊重の持ち合い構造を形成させたのだ。

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ゴーンが初期に目指したのは対等なアライアンスだった