立川志の輔さんが選んだご本人の似顔絵(作・梅田篤志)

渡部:今、心拍数がものすごく上がってます(笑)。

志の輔:ちなみに談志を描いた方はおいくつくらいですか?(投稿作の裏を見て)81歳……。談志は確かにこういう顔を見せましたが、投稿者は相当の談志ファンでしょう。

渡部:どんな時にこの顔をなさるんですか?

志の輔:師匠はすべての物事をほぼ自分で分解して構築して、哲学者のように「とにかく、人間とはこういうもんだ! 落語は業の肯定だ!」(そっくりな口調)。

渡部:似てる……。

志の輔:そう言い切って弟子を育て、自らの人生をデッサンしてきた。落語を愛しすぎて、落語と自分を一致させるためにあらゆる努力をした人でした。「俺は落語を喋ってるんじゃねえんだ、俺が落語なんだ」と。でもふと遠くを見て「いいのかね……これで合ってんのかね」って、ちょっと弱気の時の顔のような。

松尾:2007年かな、よみうりホールで「芝浜」をやった時は「ミューズ(芸術の神)が降りてきた」ともおっしゃっていた(笑)。談志師匠は人間国宝になりたいとか言わなかったですか?

志の輔:言いませんよ。でも銀座のバーで山藤先生に「賞なんてあれだろ? 誰かが推薦するからだろ? 仮に山藤画伯が俺を推薦するよね、うん。そうすっと俺も人並みの賞は取れるわな? こういう生き方してても。いや例えて言えばだよ、画伯が仮に俺を推薦したら……」、まるで推薦してくれって言ってるみたいで、周りはみんなクスクス(笑)。

松尾:アハハハ!

立川:「でも談志さんはくれるって言われても、どうせ断るんだから(笑)」って山藤先生がおっしゃって、大爆笑でした(笑)。

松尾:なるほど。でもちょっと意地悪ですね。「もらわない」って答えざるを得ない。

■騒動を楽しんだ談志氏の思い出

志の輔:山藤先生には立川流の顧問として随分見守ってもらいました。何か困ったことがあると、弟子はすぐお電話をして。

松尾:顧問というより相談役ですね。

志の輔:本当に。師匠のことを一番理解してる方ですから。いろんなことがありましたね……。大事な人の大事な場面でこそ、師匠は騒動を起こすんですよ。急に「俺は、帰る」と言いだしたり、遅刻したりして。

次のページ