人間の場合には、不吉感、不浄感を伴うタブーという形で、母子・父子間はもちろん、いとこ間など、国や社会によって異なる範囲の近親間での性交が禁じられることが多い。実際、島崎藤村は同居していた姪に子を生ませ、そのことに対する罪の意識を描いた小説「新生」で、亡妻の位牌のある仏壇に触れた姪の手のひらに、訳の分からない血がべっとりと付くという、凄惨な叙述をしている。
●レヴィ=ストロースが主張する「近親相姦はむしろ普遍的」な理由
一方で、「叔父と姪の結婚は、古代ギリシャでは推奨されたこともある。というか、近親性交にはあたらなかったのです」と川田氏。何親等までの性交が近親相姦にあたるのかは、人類で確固たる共通の基準はなく、時代、社会によってさまざまな基準があるというわけだ。そこで人類学的な視点が必要となる。
「人類学の見解では、近親性交の禁忌は普遍的で、近親性交を禁止している理由は、できるだけ婚姻によって作られる社会的関係の輪を広げていくためと理解されることが多い。この説を最初に提唱したレヴィ=ストロース先生は、社会によって設定されたある種の“同類”の男性が“同類”内の女性を妻とすることを断念し、他の男性に与えることによって、交換の範囲を広げうるという、交換論の観点から説明しようとしました」
「レヴィ=ストロース先生は人間社会を女性(結婚)、財貨(経済)、情報(言語コミュニケーション)という3つの交換のシステムとみなしました。人間は交換する動物であり、交換のシステムが社会である。そこで、もっとも高価な交換品が女性。近親の女性で性行為を済ませて満足してしまうと、交換ができず、他のコミュニティーとの交流が途絶えてしまう。それが社会を停滞させ、社会が成り立たなくなる。だから、“同類”間で女性を所有しないために、近親性交をタブーにしたというのです」
しかし、交換が進み、親族が増えていくと、相続の問題が出てくる。相続で揉めるし、財貨がどんどん親族という他者に流出してしまう。