
泣いてばかりの日々
明愛さんの病気がわかったとき、昌代さんは絶望した。「人生が終わった」。本気でそう思ったという。
同年代の友人たちはみんな健康な赤ちゃんを生んでいる。なんで私が、なんで私の娘が。泣いてばかりの日々を送った。
「生まれてきてくれてありがとうって、明愛に言えなかった自分がいました」
同じ当事者の「先輩ママ」たちの明るく生きる姿が、信じられなかった。だが、交流を重ねるうちに少しずつ心が変わった。
「私も、みんなも、支えられて生きているんだなって。それまで当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなかったんだと気付かされました」
成長は「奇跡」
娘のわずかな成長を、奇跡だと感じるようになった。リハビリののち、2歳9カ月で明愛さんが初めて歩いたその瞬間。夫と明愛さんと3人で出かけて、買ったたこ焼きのトロっとした中身を、明愛さんが初めて食べた時のこと。
「中身をちょっと食べただけですが、家族で出かけることができて、一緒にご飯を食べられるって、すごい幸せだなって素直に思えました」
母として強くなったのだと思う。蒼依さんの病気がわかったときは、かつての「絶望」はなく、受け入れる覚悟は早くにできたという。
昌代さんの活動はまだ始まったばかり。この先も模索している段階だ。
「病気や障害を主張するのではなく、みんなフラットな中に、さまざまな事情がある人も生きている。そのことを知っていただけたら、少しずつみんなが暮らしやすい社会に変わっていくのではないかなと思っています」
娘2人と出会っていなければ、なかったであろう道を歩む昌代さん。明愛さんと蒼依さんが我が家にやってきた意味なのだろうと、昌代さんは感じている。

ライター・國府田英之
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