私が着目したのは、例えば、舞台冒頭の引っ越しの場面、友だちからの手紙を千尋が読み上げる「さびしくなるよ 千尋 元気でね りさ」のセリフの「び」の音でした。地声では両唇はしっかり閉じて発音していたのに、千尋声では両唇が閉じきってなかったんです。上白石さんにこの話をすると、千尋声では「行きたくない」「億劫だな」という気持ちを表現するために、「何の筋肉も使いたくない」という想いで演じていたと話してくださいました。実際に、人間が「び」の発音をするときには「口輪筋」という筋肉を使うので、私の分析は上白石さんの感覚にぴったりあっていたんですね!

──たしかに、同じ言葉でも発音の仕方や強弱が少し違っただけで聞く人の印象は変わります。

 そうなんです。ただ、単に「演じ分けで声を変えている」という印象論にとどまらず、どんな時にどんな発音の仕方をしているかを音響的に解析したんです。本書の第一章は、その解析の結果報告でもありますね。

 また、上白石さんの出演作品をいろいろ確認したのですが、本来であれば両唇を閉じて発音する「ば行」や「ま行」などの「両唇音(りょうしんおん)」を「唇歯音(しんしおん)」として発音することがあると発見しました。「唇歯音」とは、下唇と上の前歯を軽く接触させて発音する音です。英語の“f”や“v”の音に近いイメージ。唇歯音がどういう時に使われているのか、最初はわからなかったのですが、長い分析の末、「笑顔」のときに唇歯音が使われることがわかりました。笑顔だと口角があがるので、両唇音よりも唇歯音の方が発音しやすいのでしょう。

 最近の例だと、上白石さんが主役を演じたドラマ「法廷のドラゴン」(テレビ東京)で、一度だけ唇歯音を使ったセリフがあったのを見つけました。上白石さんが演じた主人公は、プロ棋士の夢をあきらめて、弁護士になった設定でした。弁護士の仕事をしている時はあまり感情を表に出さないのですが、将棋のことを語るシーンではテンションがあがっちゃうんですね。その時に1回だけ、唇歯音を使っていたんです。

 自分が夢中になって楽しく話す時は唇歯音を使う。上白石さんは、そういう使い分けをしていたのだと思います。上白石さんにとって、そういった音の細かい使い分けも演技の一部なのだと感じています。

(撮影/佐藤創紀・朝日新聞出版写真映像部)

──そういった発音の違いを意識的に使っている人は他にもいるのでしょうか。 

 プロの歌手の方などですね。私はゴスペラーズの北山陽一さんと、とても親しくさせていただいているのですが(本書第四章&第五章参照)、彼が言うには、プロの歌手にも2つのタイプがいて、歌の背後にある仕組み・理屈を知りたいと感じている人と感覚だけで上手くできちゃう人がいるそうです。後者タイプはあまり理屈っぽく説明されちゃうと一回、ぎこちなくなってしまうかもしれない、とのこと。 

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