◎          ◎

女だから困ることなんて正直ありすぎて、名字が変わることなんて瑣末な問題だと考えていた。でも、名字が変わって5年くらい経って、頑なに貴田と呼んでくださいと訴え続けることが相手にとって迷惑なんだろうなってことくらいわかるようになった。

私が仕事名でものすごく活躍して、「貴田明日香」という名前を誰もが知るようになれば、こんな不安は感じないのかもしれない。芸能人みたいに?そんな夢見ていられる?

これから妊娠出産育児、というイベントがあるとしたら、その先の私はもう疲弊しきっていて、「貴田明日香」のアイデンティティを守ることよりも、山田〇〇ちゃんのママだから山田さんだね、のほうが勝ちそう。

失うことを通して、やっと私は「貴田明日香」を愛していることに気づいた。

初めてクレジットされた名前。映画祭でグランプリを獲ったときに読み上げられた名前。そして、多くの人が私を呼んでくれた名前。
消えていいわけがないのだ。これだけ愛してもらった名前で、私自身なんだから。

◎          ◎

その名を誰も呼んでくれなくなって、私すら、今までの私を忘れてしまう日も来るだろう。私は夫が大好きで、彼の家族になりたくて結婚したし、そのために名字を失うことも受け入れた。その選択が間違っていたなんて思わない。
けれども、それイコール私が私を失うこと、とは考えたくない。だから、これからは「貴田明日香」を道標にして生きていきたいと思う。家庭とは別の世界を生きるための道標。

疲弊しきった私が何者なのかわからなくなったとき、戻ってくるための道標だ。

その名前は別にカッコよくないけど、有名でもないただの私なんだけど。でも愛してるから。
もともとは親がつけた名前で単なる記号だったものだってわかっている。けど、長い年月を経てそれは、絶対に守り抜きたい私自身になった。そう思える人生を歩んでこれたことは、私の誇りだ。

誰にどう認識されてもいい。私だけでもいいから、ずっと私が貴田明日香だってこと、覚えていたい。
 

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

パートナー、親子、職場…ひとりの人には活動や関係性でさまざまな顔があって、どれも「自分」。名字を含めた「名前」は自分自身なんだという考えに共感しました。

それを「道標」と表現したあたりも、自分の人生が母親になって確実に変化していく期待と不安が入り混じる気持ち、それまでの「自分」を失いたくないという気持ちが伝わってきました。
 

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼