『BRINGING IT ALL BACK HOME』BOB DYLAN
『BRINGING IT ALL BACK HOME』BOB DYLAN
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 1962年春の『ボブ・ディラン』でデビューをはたし、翌年の『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』と《風に吹かれて》で一躍注目の存在となったディランは64年に『ザ・タイムズ・ゼイ・アー・ア=チェインジング/時代は変わる』、『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の2枚を発表している。すごい勢いだ。曲が、歌うべき言葉が、それこそ湧き出るように生まれてきたのだろう。

 この時期、音楽の世界ではほかにも注目すべき出来事があった。ビートルズの本国イギリスでのデビューは62年。この年の6月にはじめて公式ライヴを行なったローリング・ストーンズも翌年、最初のレコードを発表している。カリフォルニアから登場したビーチ・ボイーズは、イノセントなサーフ・ロックで、62年から63年にかけてつぎつぎとビッグ・ヒットを記録。そして64年2月には、ビートルズがはじめてアメリカの土を踏んでいる。彼らに比べれば地味な存在ではあったが、サイモン&ガーファンクルが《サウンド・オブ・サイレンス》の最初のヴァージョンを発表したのも、この年のことだった。

 ジョン・レノンとリンゴ・スターは1940年生まれ、ポール・マッカートニーは42年生まれ、ミック・ジャガーとキース・リチャーズとジョージ・ハリスンは43年生まれ、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは同じ41年生まれ。まさに同世代のディランが、こうした動きを意識していなかったはずはない。64年夏のビートルズ再渡米の際にはニューヨークのホテルで会い、彼らにマリファナを教えたという逸話も残されているのだが、それはともかく、そしてただ単に彼らから刺激されたからということではなく、ここでディランもまた、新たな動きを示したのだった。

 連載初回で触れたIBMのCMでのワトソン君の言葉を借りるなら、ディランの歌のテーマは一貫してTime passes and love fadesなのだろう。だが、若者らしい素朴な疑問を歌っただけで「プロテスト・シンガー」「公民権運動の旗手」と受け止められ、たとえばニューポート・フォーク・フェスティヴァルで「僕らのボブ・ディラン」などと紹介されてしまった彼は、『アナザー・サイド~』というタイトルでかなり意図的なステイトメントを発したあと、大きな一歩を踏み出している。65年1月に録音され、3月にリリースされた『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』だ。

『時代は変わる』からプロデュースを任されるようになったトム・ウィルソンと、おそらく彼が推薦したものと思われるミュージシャン数人と仕上げたこのアルバムはアナログ盤で言うと、《サブタレイニアン・ホームシック・ブルース》《マギーズ・ファーム》などサイド1収録の7曲がバンドをバックにした録音、《ミスター・タンブリン・マン》《イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー》などサイド2収録の4曲がアコースティック・ギターの弾き語りという構成。『フリーホイーリン~』でもバンドとの録音に挑戦してはいたが、ここではじめてディランは、本格的なバンドとのセッションに取り組んだのである。同年6月、ザ・バーズによるいわゆるフォーク・ロック・ヴァージョンで全米1位を記録することになる《ミスター・タンブリン・マン》にはディランの歌う旋律とカウンター・メロディになるような形でエレクトリック・ギターもフィーチュアされていた。

 このあと、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルでの例の事件が起こる。バンドを従えて登場したディランが会場から大ブーイングを浴びたと伝えられているわけだが、実際、そんなに単純なことだったのだろうか? そもそも、「アコースティック・ギターをエレクトリック・ギターに持ち替えた」という表現は正確なのだろうか? 次回は、そういったポイントにも触れつつ、歴史的名盤『ハイウェイ61リヴィジテッド』を取り上げたいと思う。 [次回9/14(水)更新予定]