四月を迎え、桜が各地で満開を迎えはじめていますね。
そんな中、花鳥を愛でた画家・奧村土牛の展覧会が山種美術館(東京・渋谷区)で開催されています。『醍醐』はもちろんのこと、季節と自然を細やかに、且つおおらかに描いた山種美術館のコレクションが一堂に!
遅咲きの画家・土牛、その名の意味するもの
奧村土牛(1889-1990)は、明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きました。生まれた年は、フランスで第4回のパリ万博が開催され、芸術にも新たな息吹(アールヌーボー)が芽吹き始める少し前です。
本名を義三と言い、のちに父から与えられた画号が「土牛(とぎゅう)」でした。
丑年生まれだったことと、石ばかりの田をじっくり耕しやがて美田にする…という唐代の寒山詩にならい、じっくりと研鑽を重ねて、画業を究めてほしいという親心が込められた名前です。
この名を与えられた時、土牛は28歳。遅咲きの画家はその名のとおり、じっくりとゆっくりと、画業の道を歩みはじめました。その視線は、常に対象の内側に注がれていました。
曰く、「外面的な写生ではあきたらない…そのものの物質感、詰まり気持ちを捉えることに私は腐心している…」(『美之国』14巻3号 1938年3月)
まさに、牛のごとくに写生も反芻を繰り返し、心でかみ砕き、描いていたことがうかがえますね。名は人なりとはこのことでしょうか。
花鳥画の先に辿りついた二つの「桜」
31歳から小林古径に師事し、土牛は、花鳥画を中心に少しずつ頭角を現しました。常に徹底的な写生の上に描いていましたが、師匠・古径が没してのち、七回忌法要の帰りに京都・醍醐寺の枝垂れ桜に出会いました。供養の節目に、出会った桜という生き物が放つ輝きに圧倒されたことが制作秘話に残されています。毎年命を咲かせては散らす桜に土牛は何を見たのでしょう。
実際に着手するまでに10年の歳月を要し、さらに、描く前に多くの桜の名所を巡っています。その一つに奈良の吉野山がありました。
土牛と言えば、『醍醐』の桜が有名ですが、吉野の桜を描いた『吉野』も、ぜひ鑑賞していただきたい逸品です。満開の吉野桜の薄紅、春霞に煙る青峰…。花に焦点を絞った『醍醐』、春の景色全体を描いた『吉野』、二つの作品を観ることで、土牛の春を感じることができるように思います。
小さな動物、山、建物、人物など、モチーフは盛りだくさん!
花鳥画の名人として知られる土牛ですが、啄木鳥(きつつき)や兎(うさぎ)の絵にも、その写生の目による生き生きとした、または愛くるしい表情が表現されています。
特に、動物の絵は目に表情が現れる…と、本人が言っていただけあり、うさぎの絵など、それぞれの目に個性が宿っているようです。この時代の画家の多くがそうであったように、土牛も俳句を嗜みました。徹底的な写生には、俳句ならではの「物に入る」と言う感覚があったのでしょう。残念ながら、土牛の句は展示されていませんが、代わりに絵手紙を観ることができます。山種美術館の初代館長・山﨑種二宛の書簡には、土牛の絵と書が朴訥と言われる人柄のまま今も変わらず、残っていました。
他にも、セザンヌの影響を受けていたことが分かる、静物画や建物、人物画などの描き方の違いにも、土牛がいかに対象の本質を捉えていたかが伺えます。じっくりと、ゆっくりと…美田を耕した一生は百寿を超えて全うされました。
さらに、展覧会にちなんだ楽しみが!
この展覧会は、山種美術館の開館50周年記念特別展の一環で、初代館長と親交の深かった奥村土牛の作品を外部からも取り寄せ、前期・後期に渡り展示されます。
ミュージアムショップでは展示作品をモチーフにしたグッズが、カフェでは特製和菓子も館内で楽しむことができます。和菓子もテイクアウトすることができますので、ご家族へのお土産にすると喜ばれそうですね。
春爛漫…絵を観て、和菓子を味わって、五感全てで春を感じる花の頃を過ごす…などというのも、オツなものではありませんか?
会期:3/19〜5/22
展覧会名 奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみー
参考 山種美術館