80年代アイドル カルチャー ガイド (洋泉社MOOK) 監修・馬飼野元宏
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80年代アイドル カルチャー ガイド (洋泉社MOOK) 監修・馬飼野元宏
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昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979(シンコーミュージックエンターテイメント)  監修・馬飼野元宏
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昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979(シンコーミュージックエンターテイメント)  監修・馬飼野元宏
ホットワックス第2号
ホットワックス第2号
リメンバー
リメンバー
ゴジラ
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ゴジラ
プラグド・ニッケルのマイルス・デイヴィス
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プラグド・ニッケルのマイルス・デイヴィス
キングレコードが出したローリング・ストーンズの編集盤
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キングレコードが出したローリング・ストーンズの編集盤
梅木マリ「可愛いグッド・ラック・チャーム」</p>

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梅木マリ「可愛いグッド・ラック・チャーム」
ベニ・シスターズ・ヒット・パレード</p>

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ベニ・シスターズ・ヒット・パレード
斎藤チヤ子vs富永ユキ
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斎藤チヤ子vs富永ユキ
加山雄三のすべて 第三集</p>

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加山雄三のすべて 第三集
バッファロー・スプリングフィールド「アゲイン」
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バッファロー・スプリングフィールド「アゲイン」
よい子の歌謡曲
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よい子の歌謡曲

<その3 「リメンバー」と「よい子の歌謡曲」は毎号、読んでいました>

 引き続き、馬飼野元宏さんと真鍋新一さんとの座談会をお送りしたい。おふたりとも音楽評論家であり、歌謡曲の研究家である。過去2回ではアイドルをテーマに語ってもらったが、今回はより範囲を拡げてうかがった。映画のこと、雑誌のこと、アナログ・レコードのこと、「レーベル聴き」や「事務所聴き」のことなど、話題は尽きない。

■俺をキネ旬に入れろ!

―― 馬飼野さんはいつごろから歌謡曲について文章を書くようになったんですか?

馬飼野 「ホットワックス」(ウルトラ・ヴァイヴ)の2号目、梶芽衣子の特集からですね(2006年)。その編集長が、かつて「リメンバー」(1982年 創刊、87年 休刊)を出していた高護さん。昔から大ファンだったんですが、知り合って、「歌謡曲がすごく好きなんですよ」と言ったら「書いてよ」といわれた。最初に書いたのは梶芽衣子の歌について。それが初めての音楽に関する仕事です。

―― 真鍋さんは?

真鍋 紆余曲折ありましたけど、歌謡曲について本格的に書くようになったのは、映画を通じて馬飼野さんと知り合ってからです。学生時代に作った同人誌を見ていただく機会がありまして……。大学ではずっと映画研究をやっていたので、社会の役にはなかなか立てないだろうとは自覚しつつも、いろんなところにしぶとく持ち込んで。

馬飼野 それでキネマ旬報を受けたんだ。

真鍋 受けたというか、「俺を入れろ」と言いに行ったというか……。戦前の怪獣映画についての研究です。

―― 戦前の怪獣映画?

真鍋 変でしょ? ふつうは大人になれば、(怪獣映画から)卒業しますよね。でも、いろいろ映画のことをまじめに勉強しようと思ううちに、怪獣映画に戻っちゃったんですよ。子供の頃読んだ『大特撮―日本特撮映画史』(朝日ソノラマ)という本に、『ゴジラ』(昭和29年)以前の歴史がまとめられていて、そこに載っていたいくつかのタイトルをずっと憶えていたんです。当然フィルムは残っていないんですけど、都内の図書館を当たってみたら、詳しいストーリーはもちろん、スチール写真まで見つかったんです。同人誌を作ってコミケにも出ました。

馬飼野 (真鍋さんは)「映画探偵」(河出書房新社)の高槻真樹さんに協力しているんです。

―― ラピュタ阿佐ヶ谷の上映企画「映画探偵の映画たち ~ 失われ探し当てられた名作・怪作・珍作」(2015年12月20日~2016年2月27日)を監修された方ですね。

真鍋 高槻さんが『戦前日本SF映画創世記: ゴジラは何でできているか』(河出書房新社)を書かれていたときに、僕の同人誌をどこからか見つけてきて、連絡をくださったんです。そんなことを繰り返すうち、同人誌が流れ流れて『映画秘宝』の馬飼野さんまでたどり着きまして……。

―― 真鍋さんは子供の頃からいきなりディープな方面に行ってしまったんですね。子供の頃の自分を顧みても、ディープであればディープであるほど話の合う友達っていない。

真鍋 まあ、いないですよね(笑)。ひたすら内にこもって黙々と活動しておりました。
―― 先ほど(前回)、キャンディーズをBSの特番で見て感銘を受けて、昭和のアイドル歌謡を遡って聴くようになったとうかがいましたが。

真鍋 あれがひとつのきっかけでしょうね。もちろんそれまでも大滝詠一さんや山下達郎さんは大好きだったし、ニューミュージック側のアーティストから見た歌謡曲というつながりは意識して聴いていました。中学生の頃にビートルズで音楽が好きになってから、アナログ盤しか買ってないんです。それも変な話なんですが(笑)。CDなら2500円かかるものが、中古レコードなら300円とか500円で手に入る。昔の音楽を聴くならレコードの方が早いってことに気がついちゃったんですね。キャンディーズ、太田裕美、岩崎宏美を聴いて、これはもっと真正面から体系的に(昭和アイドルを)聴いていかねばならないなと思い始めた頃に、馬飼野さんに会った。「CBSソニーのレコード番号の規格が切り替わるのはいつ?」という話を、いきなりしたのを覚えています。邦楽のレコード番号がSOLLから25AHになったのは、いつからだろうと。

―― 洋楽だと25APという規格になります。その最初は25AP-1の『プラグド・ニッケルのマイルス・デイヴィス』、76年6月新譜です。

馬飼野 彼(真鍋さん)に会ったとき、「メーカーで聴く人なんだ」と思ったんですよ。そのことからヒントを得て「昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979」(シンコーミュージックエンターテイメント)を作ったんです。

真鍋 「家にあるレコードはどのメーカーが多いですか?」「ぼくは東芝が多いです」という話もした。ビートルズやビーチ・ボーイズを聴いていると当然レコード棚は東芝が増える。ローリング・ストーンズを集めるとキングが増える。サイモン&ガーファンクルやボブ・ディランを聴くとCBSソニーが増える。

―― いわゆる英デッカ、ロンドン・レコード時代のストーンズ。

真鍋 そうですね。『スティッキー・フィンガーズ』以降だとワーナー・パイオニアだとか。レーベルとメーカーに着目して洋楽を聴いていたら、歌謡曲を聴くときもついメーカーを見るようになってしまった。「東芝のアーティストだから、この曲のカヴァーは期待していいんじゃないか」とか。

馬飼野 ぼくは「リメンバー」のバックナンバーを全部持ってるんですけど、その中に東芝特集とかあったんですよ。そこで「こういう見方(=会社で聴く)もある」ということを知った。あと芸能プロダクションによってタレントの出方が違うという。渡辺プロだと都会の不良向け、あか抜けないのは芸映で、ホリプロだと田舎の兄ちゃん姉ちゃん向けにわざとダサく出しているとかそんな分析がされていた。レコード会社とか芸能プロで聴くという見方もあるんだということを、「リメンバー」で教わりましたね。

―― 復刻CDでしか聴いてないのですが、それでも60年代の東芝音楽工業のモノラル録音の音の厚みは格別な気がします。梅木マリ、ベニ・シスターズ、斎藤チヤ子とか。

馬飼野 新しい会社でしたし。日本ビクターは吉田正、日本コロムビアは古賀政男、そういう巨匠作曲家が専属でいる伝統的な会社だとああいう風にはしにくかったんでしょうね。
真鍋 「ミュージック・ライフ」(1951~98年発行の雑誌)と直結していましたし、洋楽に対する感受性がほかの会社よりも高かったと思うんです。

馬飼野 新興音楽出版社(シンコー・ミュージック)が版権を持っている洋楽曲を日本語で歌わせて、その一方で外国の歌手が歌ったオリジナル・ヴァージョンも売る。両方を売りだすという点で東芝がいちばん秀でていた。

真鍋 大滝さんの「ゴー・ゴー・ナイアガラ」(75~83年放送のラジオ番組)の再放送を聴いていたんですが、ザ・ピーナッツがかかったことがあるんです。「彼女たちはセンスがあるけどレコード会社がキングだった。東芝だったら良かったのに」というようなことを言っていました。

馬飼野 キングはちょっと保守的なんだよね。セブン・シーズ(=ヨーロッパのポップスを中心に紹介したレーベル)が出てくる前は。

真鍋 ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォン。聴き比べるとヴォーカルとバックの演奏のバランスに差が出ちゃうんですよね。東芝のレコードが一番楽器の音が前に出てるんじゃないでしょうか。

馬飼野 加山雄三も東芝だし。

真鍋 若大将も「聴き直さなければいけない」と思った人ですね。俳優としてはもちろんですが、ミュージシャンとしても本当にすごいです。シンガーソングライターの草分けと言われていますけど、それだけじゃないです。海外のサウンドをこっちに持ってくる速さ、斬新さ。《二人だけの海》とか、当時まだウォール・オブ・サウンドなんて言葉は一般化してなかったと思いますけど、そういうのにチャレンジしている曲もありますし、『加山雄三のすべて 第三集』(67年12月)の《Cool Cool Night》にはバッファロー・スプリングフィールドの《折れた矢》(67年10月全米発売のアルバム『アゲイン』収録)と似た音のオルガンを使ってるんですよ。バッファローのLPは日本ではまだ発売されていなかったので、輸入盤を聴いていたと思うんですけど。

馬飼野 加山さん、お金持ちだし進取の気風もあるから。

真鍋 きっと周りにも優秀なブレーンがいたんでしょう。東芝が新しい音楽的感性に寛容な社風だったというのも大きかったんじゃないでしょうか。

■「リメンバー」と「よい子の歌謡曲」

―― 馬飼野さんが編纂された「80年代アイドルカルチャーガイド」(洋泉社MOOK)は、今の写真が載ってないのも一つの見識だと思いました。

馬飼野 単に、80年代に出ていたような本にしたかったんですよ。僕は「リメンバー」のほかに「よい子の歌謡曲」(1979年 創刊、91年 休刊)も毎号読んでいて、その筆者たちに書いてもらいたいというのもありました。最初は「よい子」を復活させたらどうなるかというのを考えていたんです。

―― 「よい子の歌謡曲」、名前は知ってるけれど後追いです。僕の田舎(旭川市)で見た記憶はありません。

馬飼野 都内の中古レコード屋さんなどにおいてありましたね。自主ルートだから。榊ひろとさんの連載「ひろとんのAnalzing歌謡曲」とか好きでしたね。編集長の梶本学さんにも寄稿いただいたし、「80年代アイドルカルチャーガイド」に書いていただいた岩切(浩貴)さんも「よい子」の筆者です。お兄さんたちが歌謡曲を楽しそうに語ってる感じが好きだったんですよ。当時、世間一般のアイドル歌謡に対する扱いは本当に低かったんだけど、「よい子」では良いものとしてきちんと紹介されていた。そこに救われましたよね。

―― 昔ほどではないのかもしれませんが、アイドル歌謡が低く扱われる風潮は本当に納得いきません。僕は今、アイドルから「プロ根性」を教わっていますよ。

馬飼野 ずいぶん昔、デパートの屋上でよくアイドルイベントを見たんですよ。たまに控室が見えちゃって、そこではブスーッとしているんだけど、本番では満面の笑顔で、逆に感動しましたね。

真鍋 僕の父もデパートのオープニングイベントかなんかの舞台裏で「出たくない」と泣きまくっているアイドルを見たことがあるそうです。それでも司会者が紹介するとすごい笑顔で、歌って踊った。プロってすごいなと思ったそうです。

―― 親子でそういう話ができるのっていいですね。

真鍋 当時のことを知ってるから、きけば教えてくれますしね。

馬飼野 うらやましいよ。僕は親とは芸能の話はしなかったから。

真鍋 キャンディーズの番組もオヤジとふたりで見ました。僕が《その気にさせないで》を聴いてたまげてると、「この時点でソウル・ミュージックを取り入れてるんだよ」、って教えてくれた。 [次回4/18(月)更新予定]