秦の始皇帝は、中国史初の天下統一をどのように成し遂げたのか。始皇帝の近臣として統一に寄与したエリート将軍家が、王翦(おうせん)や蒙武(もうぶ)をはじめとする王家と蒙家だ。
映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、「戦時においては、王翦・王賁(おうほん)父子の密な連携があった」と指摘。『始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
【この記事では、『キングダム』よりも先の統一戦争後半の史実に触れています。ネタバレにご注意ください】
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将軍も、秦王にとっては特に重要な近臣であった。
若い秦王嬴政に仕えた将軍の蒙驁(もうごう)や王齮(おうき)は亡くなった年がしっかりと記録されているが、没年の記録がない将軍がむしろ多い。
戦死や賜死の場合は、とくに没年が記録される。「王齮死」「将軍蒙驁死」というのは戦死であろう。一方で、桓齮(かんき)、麃公(ひょうこう)、羌瘣(きょうかい)、楊端和(ようたんわ)、李信(りしん)のように、いつの間にか消えていく将軍も多い。
人物の死はさまざまな事件と関わりがあり、歴史を紐解くうえで重要な要素である。戦死したのか、病死したのか(始皇帝)、自害したのか、獄死したのか、刑死したのか、死亡年がわからないといっても自然死とは限らない。史上から謎のように消えていくことに、歴史の背景をさぐることもできる。こうした空白の部分に、歴史学者としての関心がそそられる。