哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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水原一平元通訳が大谷翔平選手の口座から巨額の賭博資金を送金していた件が連日報道されたので、ギャンブル依存症がどういう疾病であるかについての認識がいくぶんかは深まったと思う。24億円という金額にも驚いたけれど、むしろ1回平均196万円の賭けを1日平均25回行っていたという病的な依存の病態に多くの人は驚嘆したと思う。これは「射幸心に煽られて」とか「節度を欠いた」とかいうレベルではない。
依存症というのは、それに依存している時の高揚感に嗜癖するというよりは、それに依存できない時の苦痛に耐えることができないという救いのない病である。私も身内にギャンブル依存症がいたので、それが「心的傾向」というようなものではなく、きわめてシリアスな病であることは身にしみて知っている。
世界のどこでもギャンブルが例外的な場所においてのみ許されてきたのは、わざわざそこまで足を運ばないとギャンブルが出来ないようにする必要があったからである。物理的なハードルを高くすることで依存症患者の増加を抑制してきたのである。
だから、「いつでも、どこでも賭けられる」オンラインカジノの出現で依存症患者が激増するのは当たり前なのである。
オンラインカジノは日本ではむろん違法だが、コロナ期間にアクセス数が急増し、今は日本は米国、ドイツに次ぐ世界3位の賭博王国である。日本人利用者は見つかれば賭博罪に問われるが、事業者は賭博が合法である国に拠点を置いているので取り締まりが困難である。
大阪・夢洲に計画されているカジノの事業者はいずれ夢洲限定のオンラインカジノの合法化を求めてくるのではないかと私は懸念する。日本には200人を超すカジノ議連の議員たちがいる。彼らが特例法の制定に賛成すれば巨大なビジネスが生まれる。当然それを歓迎する人もいる。だが、それは同時に大量のギャンブル依存症患者を生み出すことを意味している。
経済波及効果を大義名分に掲げてカジノを推進する人たちは賭博について無知なのか、それとも賭博の本質を熟知した上で、依存症患者から最後の一円まで搾り取ることをめざしているのか。
※AERA 2024年5月13日号