
01年、古着から子ども服をつくる「ル・シャルム・ドゥ・フィーフィー・エ・ファーファー」をロサンゼルスで立ち上げた。日本の高校時代の親友であり、当時英国の芸術大学で学んでいた女性とふたりでデザインし、型紙をつくるパタンナーや縫製の職人は新聞の求人欄で募った。
古着を安く買い集め、シミのある部分を取り除き、残った生地で愛らしいトップスやパンツなどをつくった。でもなぜ子ども服だったのだろう?
「消耗品のイメージが強いけど、子ども服もハイジュエリーのように代々受け継がれていく美しいものだったら、捨てられない。人々の価値観を変え、環境問題に関する気づきを与えられるんじゃないかと思いました」
廃材を再利用して、より価値の高いものを創造するという発想は、今でいうアップサイクルだが、ファストファッションが全盛を誇っていた当時、まだとても斬新だった。試作の段階で偶然、高級セレクトショップ「バーニーズニューヨーク」の販売員の目にとまり、同社の2店舗(ニューヨーク、ロサンゼルス)で販売されることになる。
■廃材利用でセールはしない 美しいものはいつか売れる
それから数年後、幾田は拠点を日本へ移すことに決め、しばらく米国と日本を行ったり来たりする生活が続いた。夫の千々松由貴(ちぢまつゆたか)と東京で出会ったのもこの頃だ。
芝浦工業大学で建築を学びながらモデルとして活動していた千々松は、幾田のもとで男の子用の服をデザインすることになった。
「就職というより、お手伝いのボランティアでした。気づいたら『この会社にこういうのがあったらいいな、必要だな』と思ったものを提案するようになり、自由にやらせてもらった」
だが、高い理想をもつ幾田のお眼鏡にかなうのは、昔も今も容易ではないという。立体の感覚にすぐれ、細部にまで美しさを宿すことにこだわる千々松の才能は、ジュエリーで開花した。やがて、「なくてはならない存在」になった。
03年、金融機関から融資を受け、幾田は南青山の一角に路面店を構える。このとき、五つの企業理念を掲げた。「セールをしない」「在庫消化率99%/ゴミを増やさない」「職人を守る」「美を育む」「知的交流の場を創る」
廃材を利用し、職人に適正な対価を支払って手間ひまかけてつくるので、そもそも大量生産はしない。服は腐らないし、美しいものは時を超えるから、すぐに売れなくてもいつか誰かが買ってくれる──。国連サミットでSDGs(持続可能な開発目標)が採択されたのは、15年。そのずっと前から、幾田はこうして持続可能でより良い世界の実現にコミットしてきたのである。
(文中敬称略)
(文・原賀真紀子)
※記事の続きはAERA 2023年6月26日号でご覧いただけます
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