『グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー』ポール・デスモンド
『グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー』ポール・デスモンド
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 ポール・デスモンドの演奏を聴いていると、羽毛布団に包まれているような気持ちになる。フンワリ、フワフワ。しかし体温が上がるかといえばそうとは限らず、ハートウォーミングではあるのだけれど、どこか冷めた部分がある。ホットでクールという明らかな矛盾が、ポール・デスモンドの演奏のなかでは、矛盾でもなんでもなく、ごく自然に共存しているように感じる。その「クール」は「都会的な洗練」という言葉に置き換えてもいいだろう。そして「ホット」は、デスモンドの内面に秘められた、演奏と音楽に対する情熱によって発せられているものだと思う。

 ポール・デスモンドといえば、なんといってもデイブ・ブルーベック・カルテットの活躍で知られる。『タイム・アウト』や『デイブ・ディグズ・ディズニー』等の数多くの名盤で主役をつとめていたのが、デスモンドだった。もちろん、ブルーベックこそ主役ではあるものの、ブルーベック自身、デスモンドをカルテットの顔として位置づけ、自身の音楽を表現する最良の表現者及び伝達者としてみなしていた。《テイク・ファイブ》をはじめとするブルーベック・カルテットのヒット曲は、デスモンドのあの軽妙な包み込むようなサックス・ソロが大きな魅力となっている。

 ところでジャズの世界では、アルト・サックスといえばチャーリー・パーカーを頂点とする系譜図が描かれ、パーカーを基点とした影響関係が語られることが多いが、サックスの世界には、パーカー以外にもうひとつ、大きな水脈がある。それはレスター・ヤングを原点とするもので、その影響力は、パーカーと同じく、テナー・サックスやアルト・サックスといった楽器の種類を超越し、多くのミュージシャンに及んでいる。ポール・デスモンドは、そのレスター・ヤングから大きな影響を受け、パーカー一辺倒だったサックスの分野に「未開の領域」があることを、さりげなく静かに告げた。美の極致ともいうべき「ハンサムな演奏」から、どちらかといえば軽くみられがちだが、ポール・デスモンドはサックスの革新者であり、あえて言えば「最も強い個性」をそなえた天才的なサックス・プレイヤーだった。

 デスモンドの代表作とブルーベック・カルテットの代表作は、当然のことながら一致するが、とはいえデスモンドは「ブルーベック・カルテットの人」という限定された範囲にとどまるようなミュージシャンではなかった。ブルーベックと共演する一方では、自分のグループを率いジャズ・クラブに出演し、レコーディングも行なっていた。ただしブルーベック・カルテットが多忙を極め、デスモンド自身の単独活動がおろそかになった面はある。そしてデスモンドが率いていたグループのレコーディングを継続的に行なったのが、RCAレコードだった。デスモンドはRCA時代に数多くの名盤を残している。

 デスモンドが選んだ相棒は、ジャズ・ギターの名手ジム・ホールだった。RCA時代とは「デスモンドとホールの二人三脚時代」ということになり、『デスモンド・ブルー』(キース・ジャレットがカバーしたデスモンド作の名曲《レイト・ラメント》収録)そしてこの『グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー』といった名盤が次々に吹き込まれた。

『グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー』は、実在したデスモンドのグループに近いメンバーということから人気が高い。ドラムスがモダン・ジャズ・カルテットのコニー・ケイというところが、このアルバムのもうひとつの隠し味だろう。デスモンドとジム・ホールの間に立って絶妙のバランスがとれるドラマーなどそうはいない。演奏はいずれもしっとりと落ち着いた、いかにも「大人のジャズ」。しかし弛緩したところやムードに流されるような展開はなく、聴きやすくリラックスできる一方、「それだけではない気配」が漂い、何度聴いても惹き込まれる。きっとこの音楽には魔法がかけられているのだと思う。[次回2/2(月)更新予定]