コヤ入り時間が迫る中、必死で原稿書いております。そんなことなら前夜のスタッフとの飲み会パスすればいいじゃん。そういうわけにはいきません。飲みながらの雑談こそとても大事。いろいろなアイデアもうまれてくる(撮影/谷川賢作)
コヤ入り時間が迫る中、必死で原稿書いております。そんなことなら前夜のスタッフとの飲み会パスすればいいじゃん。そういうわけにはいきません。飲みながらの雑談こそとても大事。いろいろなアイデアもうまれてくる(撮影/谷川賢作)
今回バンドはステージ下にスタンバイ 明日の本番はどんなドラマが(撮影/谷川賢作)
今回バンドはステージ下にスタンバイ 明日の本番はどんなドラマが(撮影/谷川賢作)

 明日本番の「糸賀一雄記念賞第13回音楽祭」のリハで昨日の金曜から『栗東芸術文化会館さきら』にコヤ入りしています。小室等さん総合プロデュースのこの音楽祭は、障害者の人達とプロのミュージシャンが、ダンスを含む身体表現全般と即興演奏(インプロ)で共演するというプログラムが確かに一つの目玉ではあるのだが、そんな貼られたそっけないレッテルからはうかがい知れない、多くの素晴らしい未知の経験を私は積ませて頂いている。感謝の気持ちでいっぱいだ。

「湖南ワークショップグループ」という20名ほどのグループとは、私は今回で4度目の共演になる。ダンサーで振付家の北村成美さん(しげやん)という、このグループとすでに10年一緒に活動されている才気あふれる方が、全体を構成し進行していくのだが、中には彼女の作るチームアンサンブルに興味がなく、自分の内なる音楽を演奏することで気持ちがいっぱいの人がいる。

 今回の話の主役である、通称「えいちゃん」という男はピアノにはまっている。なので、毎回彼は私よりも早くピアノに向かい、お構いなしに弾き始める。本人のやりたいことから強制的に排除しないということがゆるやかな約束なので、私は彼の隣に遠慮がちに座り、なんとか連弾でコミユニケーションを試みるのだが、呼応しあいたいという私の甘い幻想など、軽く吹っ飛ばされてしまう。なにしろドミソの3つの音だけでも5分でも10分でも彼の内なる声を表現できてしまうので、私がどうアプローチしようともビクともしないのだ。途方にくれた私は、ある時ピアノを弾くことから逃げ、ピアニカに徹することにした。

 すると今度は、共演のサックスの坂田明さんから私にダメ出しが出た。「君はピアノを弾くためにここに存在しているのだから、えいちゃんとの戦いは大変だがなんとかしなさい。以上」。なんとかったってどうすればいいんすか師匠^^; 「そんなことはワシは知らん。自分で考えるように」。さすがだ! やはり持つべきものはその道の大先輩( ^ω^ )

 一計を案じた私は、とにかくえいちゃんより先にピアノの前に座っていることにし、ピアノの天蓋を閉じて中にピアニカを隠しておく作戦に出た。いつものようにヒューンとピアノの前にすっ飛んで来るえいちゃん。私の顔を見てとても不審そう。「ピアノは ピアノ」と不満そうにつぶやく彼に、心を鬼にして弾き始める。やがて天蓋を開けるのを手伝ってあげると「おっえいちゃん、こんな所にピアニカが!」あてがわれたピアニカなどいやではないかという心配など、どこ吹く風。ピアニカを吹きまくりながら、私のことを振り返りもせずにスタスタとステージ中央方面へ歩いて行ってしまった。なんのことはない。彼は音の出るものに興味があり、音で自分を表現したい人なのだ。

 自分の重ねてきた小さな経験など、時々粉微塵になればいいと思う。痛快だ。よーく考え感じると、えいちゃんと私の音楽する気持ちになんの違いもあるわけではない。二人とも音にアドレナリンが出まくってるだけのことだ。ただ臆病な私の方が周りに気を使い、いい子でチームワークを大切にしてまっせ、とアピールするのが上手なイヤな奴なのかもしれない。歳をとればとるほど、たかをくくることだけはやめようと思う。いつもまっさらな子どものような気持ちでいるのは難しいが、そこに音楽する醍醐味があるんだろうな、きっと。えいちゃん、Thanks!

 昨日のリハで夢中になってピアノを弾いていて、ハッと気付くとえいちゃんが私のほうをジッと見ていた。彼の心の宇宙のことは知るべくもないが、彼と一緒のステージにいることがだんだん楽しくなってきた(≧∇≦)[次回12/1(月)更新予定]