2018年7月30日、ザ・ビーチ・ボーイズのメンバーが米ロサンゼルスにあるキャピトル・レコード・タワーのスタジオAに約55年ぶりに集結し、SiriusXMの『Town Hall』シリーズに出演した。
創立メンバーのブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、デヴィッド・マークスと、現メンバーのブルース・ジョンストンが一堂に会するのは、2012年に開催された一連の50周年記念公演以来。SiriusXMのビーチ・ボーイズ・チャンネル開設と、6月8日に発売された『The Beach Boys With the Royal Philharmonic Orchestra』のリリースを記念してのイベントだった。
ビーチ・ボーイズのオリジナル・ボーカルを新たなオーケストレーションにあわせたこのニュー・アルバムから数曲が紹介された時に、ブライアン・ウィルソンが“もういい”とばかりに片手を上げて曲を途中で遮る場面もあったものの、収録は終始和やかな雰囲気で進行した。
ザ・ビーチ・ボーイズの『Town Hall』で語られた内容からいくつか興味深いものをピックアップした。番組は8月10日からSiriusXMのビーチ・ボーイズ・チャンネルで放送される。
ブライアン・ウィルソンは曲を作る際、コードから先に始めると明かした。「ピアノでコードばかりひたすら弾いていると、突然メロディが浮かぶ」と彼が言うと、従兄弟のマイク・ラヴが、「ブライアンほどコード進行が見事な人はいなかった」と付け加えた。
故デニス・ウィルソンが定着する前、兄のブライアンがバンドの最初のドラマーだった。1961年のデビュー・シングル「サーフィン」でスネアドラムを演奏しているのはブライアンだ。アル・ジャーディンは、「楽器をレンタルした時、ドラムスティックを借りるのを忘れてしまった。だからリハーサルでブライアンは指を使って演奏して、僕がブラシを取りに戻ったんだ」と当時を振り返っている。
「グッド・ヴァイブレーション」はレコーディングに6か月かかった。「他のメンバーに教えるのが大変だったよ。ちょっとした傑作だったからね」とブライアンは振り返っている。ジャーディンは、「6年に感じた」と冗談をいい、ラヴはスタジオへ車を走らせながら当時の妻に歌詞を口述して書き取ってもらったと回想した。ブルース・ジョンストンは、「ファイナル・ミックスを聴いた時、“これはNo. 1になるか、僕たちのキャリアが終わるか、どちらかだな”と言った」と語っている。また、ジャーディンはブライアンに、「グッド・ヴァイブレーション」を『ペット・サウンズ』に収録せずに『スマイル』までとっておきたがっていたことを思い出させていた。
ザ・ビーチ・ボーイズとザ・ビートルズは尊敬し合い、互いの作品にも影響を与えていたが、結局コラボレーションすることはなかった。「(コラボ)するんじゃないかと思ったんだけどね」とジャーディンが明かしている。「60年代にジョン(・レノン)とジョージ(・ハリスン)が僕のホテルの部屋にやって来たことがあって、パリでコンサートをやるために移動している間、音楽の話題になるかと思ったのに、二人は僕に超越瞑想法(トランセンデンタル・メディテーション)を教えてくれたんだ。最高のコラボになっただろうな」と彼は振り返っている。
ジョンストンは『ペット・サウンズ』をザ・フーのキース・ムーンとビートルズのメンバー二人に聴かせたと回想し、ちょうど『リボルバー』の制作を初めていたビートルズの「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」は「素敵じゃないか/Wouldn’t It Be Nice」のヴァイブスを取り入れたのでは、と発言している。
司会のロブ・ライナーは、ブライアン・ウィルソンがコンサートで「神のみぞ知る/God Only Knows」を演奏し始めた時にポール・マッカートニーがやって来た時のことを話した。この曲はポールが一番のお気に入りだと話しており、ライブ・ヴァージョンを聴いた時、「彼が泣き始めたって聞いた」とブライアンが明かした。
50年経った今でもメンバー同士で知らなかったことがあったようで、ブライアンが1963年の『サーファー・ガール』に収録されている「イン・マイ・ルーム」について、自分の感情よりは、共作者のゲイリー・アッシャーの感情が反映されていると明かすと、ジャーディンが、「知らなかった」と声を上げた。「隔絶されているとか寂しいとか、誰もが感じるような気持ちを描いたブライアン・ウィルソンの個人的な話だとばかり思っていたよ」と彼は驚いていた。
ジョンストンは、「ソングライティングの観点から言うと、カタログ全体の中で“太陽あびて/The Warmth Of The Sun”が一番すごいと思う。完璧な楽曲で、完璧なレコーディングだ」と感想を述べている。1964年の『シャット・ダウン・ヴォリューム2』に収録されているこの曲は、ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺された日に書かれた。ラヴは、「実家から引っ越したばかりだったブライアンの家に行ったんだ。彼があの忘れられないメロディを書いて、僕が歌詞を書いた。1か月半後くらいにレコーディングした。神秘的だった。ケネディ大統領が暗殺されたんだ。大きな力を感じた」と振り返っている。
当日はザ・ビーチ・ボーイズのメンバーの他に、ブライアンの元妻で60年代に彼がプロデュースしたガールズグループで活動していたマリリン(Marilyn)と、ウィルソン兄弟の三男で創立メンバーだった故カール・ウィルソンの息子、ジャスティン(Justyn)とジョナ(Jonah)、そしてブライアン・ウィルソンの1995年のドキュメンタリー映画『I Just Wasn’t Made for These Times(原題)』を製作したブルーノート・レコードの社長、ドン・ウォズも出席していた。