『Koln Concert』Keith Jarrett
『Koln Concert』Keith Jarrett
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『Paris London:Testament』Keith Jarrett ※こちらは日本盤。キースのライナー・ノーツの翻訳が掲載されている。
『Paris London:Testament』Keith Jarrett ※こちらは日本盤。キースのライナー・ノーツの翻訳が掲載されている。
『Ritual』作曲:Keith Jarrett、演奏:Dennis Russell Davie
『Ritual』作曲:Keith Jarrett、演奏:Dennis Russell Davie
『インナービューズ―その内なる音楽世界を語る』キース・ジャレット
『インナービューズ―その内なる音楽世界を語る』キース・ジャレット

 《ケルン・コンサート》をインターネットの「動画」で検索すると、キース・ジャレットの演奏(彼の演奏風景はないですよ)のほかに、さまざまな人たちが演奏している動画がヒットする。そっくりに演奏しようとして思うようにいかない演奏もあるし、少し編曲して演奏しているものもある。ギター用に編曲している演奏や2台のギターで合奏しているものもあった。その中で、コンサート会場で演奏している映像があった。ピアノもスタインウェイのようだし、イントロを聴くと演奏もきちんとしていて、なかなかに聴きごたえがありそうなのだが、演奏している方がキース・ジャレットとはルックスが少し異なるので、不思議な違和感がわたしの心をざわつかせる。演奏しているのは日本の中年の方である。

 説明の必要がないかもしれないが、『ケルン・コンサート』は1975年に発表されたキース・ジャレットの即興ソロ・コンサートの記録である。ドイツのケルンでの演奏だ。即興だから、できている曲を演奏するわけではない。

 キースの言葉を読んでみた。『インナービューズ』という本の中で、ソロ・コンサートについて語っている。
 きっかけは、ECMというレコード会社のプロデューサー、マンフレッド・アイヒャーからの手紙だという。ECMは、『ケルン・コンサート』など、多くのキースのCDを作っている会社である。
「チック・コリアと2人のベース・プレイヤー、ドラマーという編成でのレコーディングか、あるいはソロのレコーディングをやってみないか」と聞かれたという。キースはソロを選び、『フェイシング・ユー』をオスロのスタジオで、3時間で録音した。マイルスのグループのツアー中の休みの1日だった。

 録音は、1971年11月10日。マイルス・グループの71年の秋、10月21日から11月20日まで行ったヨーロッパ・ツアーに参加している最中だ。前日の9日には、オスロでライヴが行われている。その前日の8日は、コペンハーゲンだった。

 ちなみに、こんなデータがすぐにわかってしまうのは、手元に『マイルスを聴け!』(中山康樹著)があるからだ。この本はジャズ・ファンにとって、一家に一冊の必需品である。

 アルバムでいえば、1969年に『ビッチェズ・ブリュー』が出て、70年録音の『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』や『ライヴ・イヴル』が発売された後のツアーということになる。その後、72年に録音される『オン・ザ・コーナー』にはキースは参加していない。
 このマイルスのバンドのツアーの中で、キースはエレピとオルガンしか演奏していない。そんなツアーの合間にアコースティックで初めてのピアノ・ソロ『フェイシング・ユー』が録音されたと思うと、たしかに、キース・ジャレットの頭の中がどうなっているのか、興味深いものがある。

 ここで情報。『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』の全曲盤が発売される。『Miles at the Fillmore: Miles Davis 1970』だ。

 『マイルスを聴け!』によれば、「マイルスが、もっともかっこよかった時代の頂点を成すライヴ」であり、しかも「かっこよかったのは、マイルス1人ではない。チック・コリアもキース・ジャレットも、デイヴ・ホランドも、ジャック・デジョネットもアイアートも、この頃がいちばんかっこよかった」わたしも賛成である。
 わたしだって、このころの演奏を聴くと、ク~、たまらん! と言いたくなる。しかし、この全曲盤アルバムの紹介は、中山康樹の「音楽玉手箱」での解説を待つことにしよう。

 さて、『フェイシング・ユー』、ピアノ・ソロではあるがスタジオ録音であり、即興ともうたっていない。また、曲に曲名もついている。つまりこの時点ではその後、演奏地をタイトルにするソロ・インプロヴィゼーションのスタイルはできあがっていないというわけだ。

 ここでまた、キースの言葉を読んでみよう。
 2008年11月のパリでのコンサートと12月のロンドンでのコンサートを収めた『テスタメント』の解説で「70年代初頭にドイツ、ハイデルベルグで始めて以来、インプロヴァイズド・ピアノ・ソロ・コンサートを行うようになった。」と言っている。
 そのあとに続けて、このやりかたは6歳か7歳のころから始まり、神童と呼ばれていたと自分で語っている。
 ハイデルベルグでは「とある曲から演奏を始めたが、なぜか止まることなく演奏し続けた。そして、一曲からその次の曲を、まるで旅をするか移行していくかのようにつなげていった。その結果、セットが終わるまで演奏しっぱなしだったのだ。」という。

 これが、その後続いていくキースのソロ・ライヴのスタイルの始まりのようだ。
 実はキースはこの文章の次に、こう続けている。「それから、私は最初の妻であるマーゴットと結婚した。」
 そしてこのやりかたについて、「何年も経ていく中で予見できるものとなることで、これらのコンサートの多くは開催しなくなっていき、自分のカルテットや作曲に集中するようになった。」と語っている。つまり、演奏がパターン化してきたと感じるようになったのだろう。
 おもしろいのはその次に、先ほどのマーゴットと離婚して再婚したことを伝え、その後、演奏できない状態だったことを語っている。

 2000年代の初頭、キースは練習の中で「昔は好きだったものの、今ではそこまで好きとは言えないもの」「過去の作品で演奏しているうちに機械的な音になってしまう時」、そのつど演奏するのを止めたという。そして、この方法をコンサートのときにも試みた結果が日本でのライヴ『Radiance』になったという。
 それからキースは2008年の日本でのソロ・コンサートの中で、自分のソロ活動史上、技術的なピークに達したように感じたといっている。そしてその後に、妻が出て行ったことを語る。

 彼の話はまだ続くが、興味のある方は『テスタメント』のライナー・ノーツを読んでもらうことにしよう。
 キースは、「楽譜も全くなく、音楽的アイディアを一掃した上でピアノの前に座り、後々まで残る価値のある全く新しいものを演奏」しようとしているのだという。そして、それはどうも彼のプライヴェートととも、大きく関係しているようにわたしには思える。

 一方で、キースは作曲もしている。その一つが『リチュアル』だ。ここでは作曲家であり、演奏は別の人である。この作曲ということについて、キースは「書かれた曲と自分自身のインプロヴィゼーションは違うものだ」といっている。「演奏しているときは、どのアイディアが重要なのか考えている時間がない」「他の人々がこの曲を弾くのを聴けるのはうれしい」(前出『インナービューズ』)

 しかし、人々は《ケルン・コンサート》を弾きたがる。
 楽譜も販売されているということだから、演奏したいという方がたくさんいるということなのだろう。ちなみに、楽譜のまえがきでキースは、楽譜も大切だが、本当のニュアンスは、彼の演奏を聴いてほしいと言っている。
 ロックの世界では、レッド・ツェッペリンの《天国への階段》やシカゴの《長い夜》のイントロなどを真似して弾く人がたくさんいたものだ。楽器屋さんに行ったときに、壁に「《天国への階段》演奏禁止!」と張り紙がしてあるのを見たことがある。それに比べると、《ケルン・コンサート》はイントロだけを演奏するのも、少し難易度は高そうだ。

 以前、レッド・ツェッペリン(第4回)やピンク・フロイド(第16回)のコピー・バンドの話をした。また、ビートルズのトリビュート・バンドの来日(第45回)のことも紹介した。すでに、ライヴを見ることが不可能なバンドのコピー・ライヴを聴くことは、わたしにとって、楽しみの一つでもある。しかし、ここでふと考える。
 《ケルン・コンサート》の完全コピー・ライヴがあったら、どうだろうか?
 考え込んでしまう自分がいる。[次回3/19(水)更新予定]

 
■公演情報は、こちら
http://koinumamusic.com/home.html

■参考
第4回 レッド・ツェッペリンを生で聴いたことがありますか?
第16回 ピンク・フロイドの世界へトリップ
第45回 あるがままに LET IT BE~レット・イット・ビー~