週刊アスキーの連載対談を一冊にまとめたものだが、連載中はちっとも面白いと思わなかったのに、こうして一冊になると心に染みいる。ロッカーの生きざまは「文学」に馴染みやすいからなのか。
ロッカーも年寄りになる。そんなことは海外のロックミュージシャンを見てもわかる。ニール・ヤングの落ち武者っぷりなどはある意味カッコいいが、レッド・ツェッペリンの面々などは見るも無惨、再結成ライブのために体を絞って、うわーカッコよくなったと思っても、よく見れば往時の美しさとはカケ離れた「カッコつけたおじいさん」だ。しかしそれも海外のロックミュージシャンであって、いわば「おとぎ話の中の人」みたいなもので、玉手箱あけておじいさんになった浦島太郎として鑑賞できる。
が、日本のロックミュージシャンは……。大槻ケンヂは、私なんかから見れば文筆で仕事してるし、今でもちゃんと名前をガンガン聞く人だが、こうやって20人以上の「40代のロックミュージシャン」と対談してるのを読んでいると「きつい商売なんだなあ」とシミジミ思わされる。対談相手の人選が絶妙だ。当時のバンド界でそれなりに活躍もして、武道館ライブとかもやっちゃってたが、今はもうすっかり名前も聞かず、ふと何かのはずみで思い出して「クニに帰って家業の畳屋を継ぐとかしてるんだろうか」などと想像したりするような、そういうミュージシャンがガン首揃えている。リンドバーグとかジュンスカとかいんぐりもんぐりとかすかんちとか。……まだみんなやってるんです。アル中治療中とか宿無しとか、まさに「ロックを地で行く生活」がセキララに語られるが、ただ「こりゃつらい生活だよな……」とこちらの気持ちもしおれていくようで、そのへんが実にリアルで良い。
でも、当人たちは「大槻くんも僕もホントにラッキーだもん」とか言い合っている。傍から見れば「まだロッカー業を続けている」こと自体がスゴイことなんですよ。
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