伊良部が自殺したというニュースを聞いた時は胸が痛かった。とても可哀相な気がした。『かわいそうなぞう』や『ないたあかおに』を読んだ時のような。伊良部の代理人だった団野村が、誤解され続けの人生を送った伊良部のことを「ほんとはこんなにいいやつだったんだ」という気持ちで書いたこの本を読んで、「ほんとにいいやつだったんだ」と思わされる。
 伊良部は、不器用で心優しい、野球の大好きな、曲がったことの大嫌いな人だ。こういう人は生きづらい。いろいろタイヘンだろうと思う。しかし、こういう人の周りにはたまに「人生を捨てても肩入れしてしまう」人が湧いて出てきたりして、その人に迷惑をかけながらやりたいことやって長生きしたりする……といって思い出すのが勝新太郎だが。伊良部だって、その才能からいけば、勝新がやりたい放題したぐらいの人生でもよかったはずなのだ。しかし、そうはならなかった。何かやろうとしてはつまずき、悪いほうに思いつめて、ひとりで死を選んでしまった。
 団さんも、伊良部のことは大好きだと書いている。彼のどこがどんなふうに素晴らしいかを切々と綴っている。でも、のめりこむところまでいかない。そりゃそうだ。人は、ひとりの男に人生を賭けるわけにはいかない。自分だって生きて、家族を養っていかなければならない。自分が生きていくこと、眠かったり空腹だったり、楽しんだりすること、そのほうが伊良部よりも大切だ。人間とはそういうもので、世間というのはそういう人たちが織りなす「薄い関係」によって成り立っている。いつまでも野球の話をやめない伊良部に困って、トイレに立った時「いつもどうやって話を切り上げるの?」と言ったというイチローのほうが「ふつう」である。
 そんな世間の中で伊良部みたいな人が孤独になってしまうのはしみじみわかる。そしてそんな伊良部を可哀相に思う自分も、伊良部には「ふつう」にしか対応できなかっただろう。

週刊朝日 2013年4月12日号

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