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安倍晋三元首相の銃撃死亡事件で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に焦点が当たり、再び「カルト宗教」が注目を集めている。「信教の自由」が認められているこの日本で、健全な宗教とカルトと呼ばれる宗教や危険な宗教との違いはどこにあるのか。キリスト教の牧師を経て、現在は青山学院大で宗教部長を務める塩谷直也さん(法学部教授)に見解を聞いた。

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――日本国憲法の19、20条では「思想・良心の自由」「信教の自由」が保証されています。

塩谷さん:「イワシの頭も信心から」ということわざがあります。信仰心が深いと、どのようなものでも尊く思えてしまうという意味ですね。同じように、信じる対象が非合理であっても、それ自体になんら問題はありません。

――その自由がある中で、健全な宗教と危険な宗教との違いはどこにあるのでしょうか。青山学院大は、ホームページで旧統一教会などを名指しして勧誘被害にあわないように注意喚起しています。

塩谷さん:明らかな人権侵害をしているかどうか、だと考えます。最も分かりやすいのが「結婚の自由」の侵害でしょう。旧統一教会の合同結婚式など、その最たる例と言えます。また、正体を隠しての勧誘もそうです。宗教だと名乗らず、サークルやボランティア、今注目されているSDGsなど、入り口を魅力的に偽装して、興味を持って入ってきたターゲットと人間関係を作り上げていく。輪の中に入り込み、もう引くことができないという状況を作ってから宗教色を出し始め、取り込んでいきます。このやり方は明らかな自己決定権の侵害に当たり、詐欺と同じ行為です。

――AERA dot.の取材でも、いわゆる「カルト宗教」がSDGsやボランティア、サークルなどに偽装して勧誘する手口が明らかになっています。ただ、一般的にはカルトとされていない大きな宗教団体の信者にも、素性を名乗らずに勧誘している人はいます。

塩谷さん:正体隠しの勧誘は、あってはなりません。健全な団体なら、最初に何者かを名乗りますよね。宗教に限らず、当たり前のコミュニケーションのあり方です。現代における宗教は、きっちり名乗ったうえで、勧誘したとしても相手の選択権を尊重し、さらに入退会を自由にする。そうした透明性が大切だと思います。もちろん、例えば友人に、「ちょっと話を聞いてよ」などと言って、後から自分の信仰について話す信者がいる可能性は否定できません。ただ、相手の選択権は奪ってはいけない。嫌だ、興味がない、とはっきり言える権利は守る。それが健全な宗教のあり方です。

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カルトは「考える力を奪う」