作家・元外務省主任分析官 佐藤優さん(63、左):東京都生まれ。著書に『池田大作研究』『日本共産党の100年』『君たちの生存戦略』『希望の源泉・池田思想5』など/歌手 加藤登紀子さん(79):中国東北部ハルビン市生まれ。近著に『百万本のバラ物語』。5月26日に東京国際フォーラムホールCで「百万本のバラ物語」コンサートを開催予定(写真映像部・東川哲也)
作家・元外務省主任分析官 佐藤優さん(63、左):東京都生まれ。著書に『池田大作研究』『日本共産党の100年』『君たちの生存戦略』『希望の源泉・池田思想5』など/歌手 加藤登紀子さん(79):中国東北部ハルビン市生まれ。近著に『百万本のバラ物語』。5月26日に東京国際フォーラムホールCで「百万本のバラ物語」コンサートを開催予定(写真映像部・東川哲也)
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 ロシア軍がウクライナに侵攻してから2月24日で1年が経った。旧満州からの引き揚げ経験者で、歌手の加藤登紀子さんと作家で元外務省主任分析官の佐藤優さんが意見を交わした。即時停戦を求める2人は平和の尊さを訴えた。AERA 2023年3月6日号の記事を紹介する。

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佐藤:昨年の5月ごろだと思いますが、加藤さんとウクライナの情勢についてお会いする機会がありました。そこで非常に印象に残っているのが「(第2次世界大戦での)日本の敗戦があと半年早かったらどういうふうになっていったと思いますか。1945年2月時点において、日本の指導層は日本がもう勝てないことはわかっていたでしょう」というお話でした。

加藤:そうでしたね。

佐藤:日本は停戦を選ばなかった。その結果なにが起こったかというと、東京大空襲、沖縄戦、ソ連の参戦、広島・長崎への原爆投下です。これは加藤さんならではと思ったのは、朝鮮半島の分断も起きなかったのではないか、もし日本の政治指導部が半年早くこの勝てない戦争に関して終戦という判断をしていれば、どれだけ多くの命が救われて、その後の歴史もどれだけ変化したか──ということです。それを聞いて私もその通りだなと思ったんです。

加藤:ドイツのヒトラーが敗北した後、3カ月以内にソ連が参戦することを決めたヤルタ会談を日本はキャッチしていなかったのでしょうか。

佐藤:最近、産経新聞の岡部伸(おかべのぶる)さんが、スウェーデンに駐在する武官がソ連の対日参戦の情報をつかんでいた、と書いていました。いずれにせよ、断片的な情報は取れていても、その情報を判断する人がいなかったのでしょう。軍隊が情報を無視することは、よくある話です。

加藤:ドイツは45年5月に敗北するわけですが、ドイツがそろそろ敗北します、というような情報は日本にも入っていたわけですよね。それでも日本は戦争を続けました。これはいったいなんだったのでしょう。

佐藤:(諜報やゲリラ戦を教える機関の)陸軍中野学校などは、日本が占領されることを前提にゲリラ戦の準備を始めるわけです。ですから、戦争指導部は負けることをよくわかっていたんです。ところが、やめられなかった。

■日本は武器を送ってない、仲介者としてはすごくいい

 なぜ日本はそういったことをやめられないで意思決定を間違えるのかということについて、慶應義塾大学商学部教授の菊澤研宗さんが著書の『命令の不条理』でこう言っています。(南太平洋の激戦地)ガダルカナルなどをめぐる戦いは、一般の常識ではアメリカが合理的で日本は非合理的だったと言われているけれども、日本も十分合理的だったと。

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