仲本工事さん
仲本工事さん
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 10月19日、ザ・ドリフターズの仲本工事さんが急性硬膜下血腫のため亡くなった。18日に車にはねられて救急搬送され、緊急手術を受けたが意識は戻らず、そのまま帰らぬ人となった。

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 1969~1985年に放送された『8時だョ!全員集合』(TBS)は、最高視聴率50.5%を記録した伝説のバラエティ番組である。毎週観客の前で生放送でコントを披露していたドリフのメンバーは、言わずと知れた国民的なスターであり、その時代に生きた誰もが彼らのことを知っている。

 ただ、個性派揃いのドリフの中で、仲本さんは良くも悪くも目立たない存在だった。体操コントのように仲本さんが主役を務めるコーナーもあり、一定の存在感を確立していたとはいえ、ほかのメンバーに比べるとどうしても地味な印象があり、彼がどういう人物だったのか、というのはあまり知られていない気がする。

 ドリフのリーダーであるいかりや長介さんの自伝『だめだこりゃ』(新潮文庫)の中には、個々のメンバーについて書かれた箇所がある。

 その中で、加藤茶については「実演に関しては外すということがなく抜群のセンスだった」、高木ブーについては「音楽的には一番しっかりしていた」などと一定の評価を与えているのに対して、仲本さんについては「自分だけが大学を出ているというプライドがあった」「ずば抜けているのは節税に関する知識だけ」「ネタを出さないし、ネタをどう膨らませるかに興味がない」と、やや後ろ向きな評価が目立っていた。

 仲本さんは学習院大学を卒業後、ギターの腕を買われて高木ブーの誘いでドリフに加入した。仲本さんの父親は、大学を出た息子が就職もせずにバンドに入ることに猛反対したが、いかりやさんが何とか説得した。仲本さんはもともと音楽をやるつもりでドリフに入っていたのだが、少しずつコメディの要素が強くなっていき、コントグループとしての活動が増えていった。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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加藤茶の代役を務めたときに見せた仕事ぶり