哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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近年、米国発の記事中に「中国恐怖(China Scare)」の文字列を見るようになった。「赤色恐怖(Red Scare)」なら過去に2度先例がある。1度目はロシア革命直後に米国の支配層に取り憑(つ)いた「共産主義革命が近い」という恐怖症、2度目は1950年代のマッカーシズムの時代に広まった「政府内部にソ連のスパイがいて、アメリカの政策決定に関与している」という妄想である。
かつて中国人労働者たちは「黄禍(こうか)」として排斥の対象になったけれど、「恐怖」の対象ではなかった。9.11以降の米国内には「イスラモフォビア」は蔓延したが、「イスラム恐怖」という言葉の用例は寡聞にして知らない。米国民の恐怖の対象となるのは「米国の政体に影響を与え得るだけの力を持つもの」に限定される。今、中国はそのようなものと想定されているのである。
それはAIの軍事転用の領域で米国は中国に「危険なまでに出遅れている」というコンセンサスが米国内に形成されているからである。米中のAI軍拡競争を扱った昨年の「フォーリン・アフェアーズ・リポート」で、ある論者は米軍は「より優れた戦略を持つライバル」に直面しており、「勝ち目のない戦いをしようとしている」と書いていた。2017年のランド研究所の報告は「米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」と結論づけていた。統合参謀本部議長も「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告している。
もちろん、軍人はつねにライバルの強大さを過大に表現することで、予算と権限の拡大を目指すものだから、この言葉を額面通りに受け取ることはできない。それでも、AIの軍事転用で米国は中国に出遅れたという不安が米国内に存在するのは事実である。それが「中国恐怖」の現実的根拠である。
興味深いのは、米国の雑誌に「中国恐怖」の語が頻出するようになってから日本国内の「嫌中」言説が抑制的になったことである。米国の「中国恐怖」が日本政府に感染し、「中国敵視は自粛した方がいい」という指示がレイシスト陣営にも下達(かたつ)されたのであろうか。
※AERA 2020年2月3日号