浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
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国連本部 (c)朝日新聞社
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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「暑さで体の表面から1割ぐらいが溶けているんじゃないか」という感想とともに、担当編集者から本稿の締め切りに関するリマインダーを頂戴した。さすが名編集者。けだし名言なり。

 とりあえず「誠に、これぞメルトダウン陽気ですね」などとお返事する。「つまらん返事する暇があるなら原稿書け!」という声が聞こえてくる。ただ、ここで考えた。こんな調子の激暑が続くと、ひょっとして人類が皆溶けていなくなるかもしれない。恐ろしいことだ。何とか、悪い奴らだけ限定的に溶解してくれるといい。そうも思った。

 溶けて消滅して欲しいのは、どのような人々か。それは、「我が国さえ良ければ」を掲げてはばからないような人。安全保障を口実に親しくすべき隣国と妙なケンカを始めるような人。体制護持のために言論を弾圧するような人。

 溶けてなくなって欲しい人には事欠かない世の中だ。だが、ここでさらに思う。こんなことを考える人間こそ、溶けてなくならなければいけないのではないか。キリスト教の祈りの中に、「我が敵のために命を捧げることが出来るようになりますように」というのがある。この祈りを唱えながら、その一方で「あいつらが溶けてなくなればいい」などと願望するのは、いかにも自家撞着だ。

 宿敵のために命をなげうつ。誰もがこれを出来るようになった時、人類は間違いなく相互破壊的な溶解を免れるだろう。だが、さしあたり、我々はその境地からはるかに遠いところに止まっている。いや、止まっているというよりは、その境地からどんどん遠ざかりつつあると考えるべきなのかもしれない。

 近頃、SDGsというのがはやる。国連が提唱する「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)である。立派なことだとは思う。だが、いま一つ、解るようで解らないスローガンだ。いっそのこと、「人類総メルトダウン回避を目指して」とか、そんな感じの目標設定にした方がいいのじゃないかと思う。この夏、我々一人ひとりが誰かのために1割ずつ我が身の溶解を容認する。それが出来ればSDGsはおのずと達成されるだろう。

AERA 2019年8月26日号