実は稲垣さん、クリムトが描いた肖像画と、よく似たタッチの自身の肖像画を持っているのだと教えてくれた。

「2年くらい前に、旧ユーゴスラビア出身でいまはイタリア在住の画家のオメール・ベルベルさんに、僕の写真を渡して肖像画を描いてもらいました。とても素敵な作品です。3作品あって、そのうち一つはツイッターのアイコンにして、もう一つは部屋に飾っています」

 黒い布に覆われた母子の青白い顔が浮かぶ「家族」にも心ひかれたと話してくれた。

「僕はピカソの青の時代の色合いが大好きで、この作品の黒く少し青みがかった暗い色合いも、心地よく感じます」

 あまり知られていないが、クリムトは多くの風景画を残している。生涯約250点とされる油彩のうち60点近くは風景であり、その多くが、クリムトが夏の休暇を過ごしたオーストリア西部のアッター湖畔の景色だ。同時代に活躍した印象派の影響を受け、純色(各色相で最も彩度が高い色)の点を重ねて描く。正方形のキャンバスを好み、対象を平面的に描くことで、装飾的に仕上げるのが特徴だ。

 稲垣さんが好きな「ほわっと系」として挙げてくれた風景画が、「アッター湖畔のカンマー城3」だ。

「涼しげで柔和な雰囲気が目にとまりました。とても美しいです」

 これらの作品を生み出したクリムトは、どんな人物だったのか。クリムトの肖像写真としてよく知られているのは、50歳ごろに撮影されたを抱いた写真だ。無精ヒゲを生やし、古びた仕事着を着ている。「よれた中年男性」とでも表現できそうだ。

「作品にはひかれますが、見た目にはひかれないですね」

 と稲垣さんは笑う。

 1862年にウィーン近くのバウムガルテンで金工師の長男として生まれたクリムトは、仲間と「芸術家カンパニー」と名乗るグループを設立、やがてウィーンを代表する画家となる。保守的な画壇から離脱し、若手芸術家らと共に自由な芸術表現の道を切り開いた人物だが、生前、自分自身のことをあまり語らず、「私について何か知りたい人は、私の絵を注意深く見て」と話していたという。(朝日新聞社・森本未紀)

AERA 2019年6月17日号より抜粋

[AERA最新号はこちら]