批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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中国・ハルビンの「侵華日軍第731部隊遺址」なる施設を訪れた。
731部隊についてはご存じの読者が多いだろう。第2次大戦時に旧満州で活躍した関東軍組織で、生物兵器の研究のため凄惨な人体実験を行っていたことで知られる。同部隊はハルビン市郊外に広大な敷地をもっており、現在はその一部が遺址として公開されている。2015年には巨大な博物館も開館した。同館は日本の右翼のあいだで「反日教育施設」として悪名高いが、それだけに展示は充実している。
日本で731部隊が広く知られるようになったのは、森村誠一が1981年に出版した『悪魔の飽食』がきっかけと言われる。ぼくは当時まだ小学生だったが、たまたま刊行直後に読んで衝撃を受けた。ペストの感染実験や凍傷実験、少年の生体解剖など、衝撃的な証言が多数収められており、いまの職業にも影響を与えている。今回の訪問は38年越しの宿題ということになる。
展示を反日とは感じなかったが、ひとつ気づいた差異があった。日本では731部隊の細菌研究はたいして重要だったと考えられていない。人体実験も場当たり的で成果は少なく、だからこそ犯罪的だったと見なされている。ぼくもおおむねそう捉えていたが、中国側の理解は異なっている。戦前の日本は細菌戦の未来を見据えて生物兵器開発を進めていたと解説されており、731部隊の研究もそのなかに位置づけられている。正直日本人としては「過大評価」ではと言いたくなったが、そこでハタと気がついた。
現在の日本人は、戦前の日本がいかに無責任で自己統治ができない国だったかを教えこまれている。実際にそれは現実だろう。しかしその意識はときに自己弁護の論理にも転化するのではないか。
731部隊に限らず、日本軍が戦中犯した罪は、多くが明確な目的や組織的な意図がないものだったのかもしれない。でも被害者からはそれらはあったように見えるし、その見方は尊重するしかない。自分たちが無責任な国家に生きているという反省を、新たな無責任につなげてはいけないのだ。
※AERA 2019年4月1日号