「戦場」と呼ばれる職場がある。あらゆる子どもの相談に対応する児童相談所だ。虐待で命を落とす子どもが後を絶たない中、パンク寸前の現場は、どうあるべきなのか。大阪で起きた2児餓死事件の担当者が悔根を込めて語った。
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大阪市の児童相談所(児相)「大阪市こども相談センター」は、大阪城を望むJR森ノ宮駅近くにある。古い5階建てビル。その1階にあるのが、子どもへの虐待の対応を専任で担う「虐待対応担当課」だ。
「あの事件は絶対に忘れてはいけないと肝に銘じています」
同課の岩田幸夫(ゆきお)課長(52)が、絞り出すように話す。
センターに虐待対応担当課ができたのは2010年9月。転機となったのが、「あの事件」だ。同年7月末、大阪市西区のマンションで当時23歳の母親(殺人罪で懲役30年が確定)による育児放棄の末、3歳と1歳の幼い姉弟が餓死しているのが見つかった。
「『ママー、ママー』と部屋から叫ぶ声が聞こえる」
事件前、住民から3回、センターに通告があった。センターの職員が計5回、部屋を訪問したが一度も母親や子どもたちに接触できなかった。「異臭がする」との通報で警察官らが駆けつけると、ゴミが散乱した居間に全裸の幼児2人が寄り添うように倒れていた。
幼い命は、なぜ奪われたのか──。児相の「放置」が問題視された。
当時、係長として虐待対策室に在籍していたのが岩田課長だった。母子の住民票はなく、管理会社に聞いてもわからなかった。職員から「部屋には人の気配がしない」との報告を受けて、幼子がいると確信が持てなかったという。結果、救いの手は差し伸べられなかった。岩田課長は言う。
「もしどこかのタイミングで子どもたちの泣き声を職員が直接聞いていたら、何としてでも助けたと思う。大きな反省点の一つは、同じ住民から3回、虐待を疑う通告があったのに、その後の調査や対応の進捗状況がセンターとして十分把握できていなかったこと。1回目や2回目に訪問した時の状況を、組織全体で共有し、対応について検討できていたら子どもたちを救えた可能性もあった」
虐待で命を落とす子どもが後を絶たない。今年3月、東京都目黒区で両親から虐待を受けた5歳の女の子が「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと書き残して亡くなった。あまりに痛ましい事件は、改めて児童虐待の残酷さを社会に突きつけた。
児童虐待の最前線で対応にあたるのが児相だ。都道府県や政令指定都市など全国212カ所(10月1日時点)に置かれている。その全国の児相が対応した虐待件数が17年度、過去最多の13万3778件(速報値)を記録した。この5年で2倍。対して、児相で虐待対応の中核を担う児童福祉司の数は現在約3200人。同じ5年間で1.2倍になったに過ぎない(グラフ参照)。児童福祉司を増員しても虐待件数の伸びに追いついていないのが現状だ。その多忙な現場を、職員らは「戦場」と呼ぶ。