タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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文芸誌の新人賞には、発行部数の何倍もの応募があるそうです。出版不況を嘆くある作家は「今は、読む人よりも読まれたい人の方が圧倒的に多いのだ」と苦笑していました。
映像の世界では、若者のテレビ離れが言われる一方で、YouTuberが子どもの憧れに。インスタグラムなどで世界的な知名度と巨万の富が手に入るチャンスが誰にでも開かれています。
みんな、観客を欲しがっているのです。客席はガラガラなのに、舞台の上は人でいっぱい。互いに自己顕示とお義理の「いいね」をぐるぐる回して、毒舌批評家を気取るのも自由。その時は、自分じゃない誰かのふりをすればいいのですから。
高1と中1の息子たちも、もちろんそうしたメディアに触れています。この動画面白いよ、なんて見せてくれるのですが、洗練されたものがある一方、稚拙で見るに堪えないものも。デジタルネイティブでない私は、つい彼らにこんなことを言ってしまいます。
「あのな、君らの貴重な時間を、どこかのアホを儲けさせることに使うのをやめたまえ。まずは目の前にある、君にしか見えていないものを見ろ。君に何かを見せようとする人々に目を奪われるのではなく、自分から目を向けないと見えない声なきものを探すんだよ。アリンコとかな。そっちが、君の生きてる世界なんだから。ほらほら、デバイス置いて、庭に出てぼうっとしろ! 紙の本を読め!」
言いながら、見たい、見せたい、見られたいと望まずにはいられない人間の業についても考えます。孤独や退屈と折り合いをつけるのは、難しいものです。自分を満たすための露出と、他者とつながる表現は違います。前者はやればやるほど寂しくなるもので、後者の心境に至るまでには時間がかかります。息子たちは案外、玉石混交の画面の中に、そんな渇きや自意識のありようを敏感に読みとっているのかもしれません。
※AERA 2018年2月12日号