蓮池薫さん(60)。中央大学3年だった1978年に北朝鮮に拉致され、24年後の2002年に帰国。現在は新潟産業大学准教授として、韓国語を教える(撮影/倉田貴志)
蓮池薫さん(60)。中央大学3年だった1978年に北朝鮮に拉致され、24年後の2002年に帰国。現在は新潟産業大学准教授として、韓国語を教える(撮影/倉田貴志)
24年ぶり一時帰国でチャーター機から降りる蓮池薫さん(2列目右)と妻の祐木子さん(2列目左)。前列は地村保志さんと妻の富貴恵さん。上段の真ん中は、曽我ひとみさん/2002年10月15日、羽田空港 (c)朝日新聞社
24年ぶり一時帰国でチャーター機から降りる蓮池薫さん(2列目右)と妻の祐木子さん(2列目左)。前列は地村保志さんと妻の富貴恵さん。上段の真ん中は、曽我ひとみさん/2002年10月15日、羽田空港 (c)朝日新聞社

 中央大学3年だった1978年に北朝鮮に拉致され、24年後の2002年に帰国。現在は新潟産業大学准教授として、韓国語を教える蓮池薫さん。今、拉致問題に思うこととは?

【写真】24年ぶりに帰国した時の蓮池薫さんたち

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──日本に帰国されて15年が経ちました。

 短いと言っていいのか長いと言ったらいいのか、分かりません。ただ、日本に帰国してからの15年は、北朝鮮では望めなかった自由な生活を送れる喜びを日々感じています。移動の自由や勉強の自由……。様々ありますが、一番大きいのは表現の自由です。北朝鮮に拉致されていた24年間は、たとえ自分の子どもでも本心を明かすことはできませんでした。それが日本では、どんな場所でも本音で自分が正しいと思うことを話すことができます。この自由は北朝鮮で暮らしていた時は考えられなかった。自由に話せることで自我を感じることができ、「蓮池薫」を取り戻したと思えます。

──今も政府認定の拉致被害者だけでも12人が北朝鮮に残っています。みなさんどのような思いで過ごしているのでしょう。

 精神的限界を超えています。北朝鮮に残された方々は当然、私たちが帰国した事実を知っているでしょう。それなのに、何で自分たちは帰れないのかと非常につらい心理状況の中で待たされ続けていると思います。しかも、日本で待つ家族のみなさんは歳月が経って高齢化しています。拉致解決は時間との闘い。もう待ったなしです。政府はいま動かないと手遅れになります。

──多くの人が疑問に感じていますが、なぜ拉致問題は一向に進展しないのでしょうか。

 拉致問題の一義的責任は北朝鮮にあります。北朝鮮が考え方を柔軟に持って拉致問題の解決に乗り出せばいいのですが、そうしない理由は色々考えられます。例えば拉致問題は自分たちの恥部をさらすことになるとか、帰したら秘密が漏れるとか。しかしもっとも大きな理由は、もはやメリットがないからです。北朝鮮が当初狙っていた、日本との国交正常化や日本の植民地支配に対する賠償である経済協力、こういったものが確実に手に入るという状況にはすでにありません。しかも、2002年の日朝平壌宣言で経済協力を得られると思っていたのに日本政府が約束を破った、日本政府は交渉相手として信じられないという考え方が北朝鮮指導部にあると聞いています。そうした国とは慎重にならざるを得ないという、北朝鮮なりの考え方はあるのでしょう。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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